五木寛之 流されゆく日々
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連載11787回 無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)の問題 <1>
昨年、横浜の「みなとみらい」で講演をしたことがあった。全国の精神科医が集る会なので、すこぶる緊張したことを憶えている。 そのときの大会のテーマに<アンコンシャス・バイアスをめぐって>というのがあ…
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連載11786回 十年一日のごとく <5>
(昨日のつづき) 目、耳、手、の3つの器官をどんなふうにケアしているのか、ときかれることがある。 なにか特別なマニュアルでもあるのか、という好奇心からだろう。 しかし、そんなものはないのだ…
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連載11785回 十年一日のごとく <4>
(昨日のつづき) むかしの大工さんの七ツ道具に、ノミ、カンナ、カネジャクなどがあったように、作家にも大事な道具として3つのものがある。 目。耳。手。 の3つだ。もちろんほかにもいろいろある…
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連載11784回 十年一日のごとく <3>
(昨日のつづき) きょうは<坪田譲治文学賞>の選考会だった。 坪田譲治は、岡山市出身の作家で、1920年代から戦後の昭和期に活躍した作家である。1936年から朝日新聞に連載した『風の中の子供』…
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連載11783回 十年一日のごとく <2>
(昨日のつづき) 私は九州人なので、気が短いところがあると自覚している。 <飽きやすの好きやす> などとも言われた。長続きしないところがあるのだ。 しかし、一方で半島・大陸で育ったためか…
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連載11782回 十年一日のごとく <1>
私はこれといった趣味を持たない。 もともと無趣味な人間なのだ。食べものにもこだわらないし、着るものにも気を使わない。いま着ているジャケットやコートも、何十年も前に入手したものばかりだ。 靴も…
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連載11781回 人新世のどん詰まり <4>
(昨日のつづき) 毎朝、新聞を読むときには、一面左下のコラムから目を通すのが習慣のようになっている。 ニュースというのは、客観報道のかたちをとっているが、かなり忖度が働いているものだ。私自身、…
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連載11780回 人新世のどん詰まり <3>
(昨日のつづき) <共感疲労>の波が広がりつつあるという。 あまり聞きなれない言葉だが、心理学、精神医学の分野で使われる用語らしい。 自分以外の他者の悲惨な情況に心を痛めすぎて、そのために食…
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連載11779回 人新世のどん詰まり <2>
(昨日のつづき) 戦争がおこるのは、世の中がどん詰まりになったときである。 資本主義のみならず<人新世の社会主義>のほうも、どん詰まりだ。政治も、文化も、宗教もそうだ。 押しよせるデラシネ…
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連載11778回 人新世のどん詰まり <1>
このコラムの連載がスタートしたのは、1975年の10月からである。 <日刊ゲンダイ>の創刊以来、毎年、年頭には似たような事を書き続けてきた。 当時、若手作家扱いされていた私も、すでに卒寿をこえ…
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連載11777回 多難な年の予感 <2>
(昨日のつづき) 《ゴジラ》を観にいったら、夜の8時過ぎからだという。 時間が合わないので、諦めて帰ってきた。なにか映像を見たいのだが、テレビはこれといった番組がないし、仕方がないので昔のDVD…
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連載11776回 多難な年の予感 <1>
波瀾ぶくみの年頭である。 能登の地震は思いがけない被害をもたらした。私も北陸に縁のある人間なので、人ごととは思えない。刻々つたえられるニュースを、息をのむ思いで観た。 それに続いて日航機と海…
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連載11775回 年は過ぎ人は去る <4>
(昨日のつづき) 毎日、1回分ずつこの原稿を書きながら、また1年が過ぎた。 ときには夜中の12時5分前に入稿したこともあり、ギリギリの滑り込みもあった。 1日分の原稿ぐらい、前日に書いて送…
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連載11774回 年は過ぎ人は去る <3>
(昨日のつづき) NHKTVを見る。 熾烈な戦闘場面がでてくる。シリーズ大作のコマーシャルだ。 よくこんなシーンを撮影できたものだと驚くような迫力のある映像だ。馬が倒れ、人が死ぬ。 こ…
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連載11773回 年は過ぎ人は去る <2>
(昨日のつづき) 世界は一面だけではない。落葉にも裏と表があるように、あらゆる事実に表裏がある。 悪が存在するからこそ、善という概念が成り立つのだ。夜と昼のようなものだろう。 世界の成立以…
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連載11772回 年は過ぎ人は去る <1>
年の暮れに一年を回顧する、などという殊勝な気持ちは、もう忘れた。 時の流れに切れ目はないのだ。一年が終ると、音もなくさらなる一年が流れてゆく。 今年もいろんな事があった。 ウクライナ、パ…
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連載11771回 わが対談クロニクル <5>
(昨日のつづき) 人名別の対談リスト(活字メディアのみ)を見ると、すでに故人となられたかたがたの名前も少くない。 阿佐田哲也さんとは、ずいぶん多くやっている。 石岡瑛子さんとの対談も忘れが…
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連載11770回 わが対談クロニクル <4>
(昨日のつづき) <年代順>にまとめた対談リストを眺めて、感心したのは、よくこんな昔の対談をみつけ出したもんだ、ということだった。 一覧表では、1968年からの対談がリストアップされている。私が…
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連載11769回 わが対談クロニクル <3>
(昨日のつづき) <対談>は<会話>ではない。 対立、対決、タイマンなど、<対>のつく字は、双方が同じ土俵で向かいあうことだ。 <対峙>もそうだ。いわば言葉による決闘という感じがある。 表…
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連載11768回 わが対談クロニクル <2>
(昨日のつづき) これまで新聞・雑誌など出版物に限って対談をした相手のかたがたの顔ぶれを眺めてみる。 もちろん、全部ではない。過去のデータというものは、ほぼ全体像をつかんでいるが、細部は必ずし…