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小林俊一特集

ケニヤッタ小林氏(央)

山梨学院大の「投資」はオツオリの走りで大成功


小林俊一氏は意味不明の言葉を口にした。スワヒリ語で、訳すと「日本でマラソンを学び、よく頑張った。お疲れさん……」との意味だという。 「10年前だよ。一時帰国中のオツオリが車を運転し、タンクローリーと正面衝突。37歳で亡くなり、葬儀に行ったときだね。山学と所属していたトヨタからの弔電を持参し、私が弔辞を述べた。『ウナ、ソマ、マラソン、ジャパン……』って。オツオリは私が斡旋した留学生第1号。号泣した…

メキシコ五輪1500mでケニア初の金メダルを獲得したケイノ

陸上界から“法に触れない詐欺師”と呼ばれるまで


私が小林俊一氏に出会ったのは19年前の6月半ば。場所は、ともに贔屓にする、東京・新宿駅東口近くの“アスリートが集う居酒屋”「酒寮・大小原」だった。 すでに当時の日本陸上界ではケニヤッタ小林の名は知れわたり“人買い小林”ともいわれていた。 「いや、まだあるね。現・日本陸連顧問の帖佐(寛章)さんは“法に触れない詐欺師”と言ってる。まあ、誰が何と言おうが気にしないけどね」 パナマ帽を斜にかぶった小林氏…

ケニアの陸上大会にも頻繁に顔を出した(左)、小林氏を取り上げた週刊文春の記事

選手を斡旋する悪徳ブローカーだと文春に叩かれた


小林俊一氏は気にせず一蹴する。 「最近の文春は、都知事を辞任に追い込んだりね。一応は頑張っているが、私に関する記事は単に面白おかしく書いただけ。私は問題のブローカーでもないし、ましてやピンハネもしない。真実ならいかに打たれ強い私でも、すでに消えてるよ」 ■出場料はそっくり選手へ この言葉にウソはないだろう。 「ただし、1校1社から年間顧問料として150万円ほどいただく。私がやることは社会奉仕では…

ワキウリは世界陸上でも金

ソウル銀のワキウリは走る後ろ姿を見てスカウト


そう小林俊一氏が決意したのは、88年のソウル五輪後だと語る。 故・中村清監督率いるエスビー食品に斡旋したダグラス・ワキウリが、87年の世界陸上で優勝。続いて翌年のソウル五輪で銀メダルを獲得したからだ。 ワキウリを中村監督に紹介したのは、ロス五輪を5カ月後に控えた84年3月。エスビー食品がニュージーランドで合宿をしているときだった。 「あのときの私は、横浜国際女子駅伝に出場するケニアチームの役員…

イカンガーは83年福岡国際で瀬古と競り合い3秒差の2位

イカンガーがレースを引っ張った選考会の翌日…


その彼にマラソン転向を勧めたのが小林俊一氏だった。 39年前の77年。小林氏が初めてケニアの地を踏んだ秋、タンザニアで東アフリカ3カ国対抗陸上が開催されたときだ。 「当時の私はスポーツライターの肩書でね、取材に行ったら1万メートルで最後尾を走る気になるランナーがいた。タンザニアのイカンガーで、競技後に『あんたはマラソン向きだよ』と言ったら『オニツカタイガーのマラソンシューズが欲しい』とね。そこで…

小林氏とワンジル(左)。ワンジルは北京五輪男子マラソン金メダル

約70人のケニア人を連れてきて3人が五輪メダル


多くのケニア人ランナーを日本に斡旋し、駅伝やマラソンに刺激を与えてきた「ケニヤッタ小林」こと小林俊一氏。その正体は謎に包まれているが、20年来の友人でルポライターの岡邦行が長期間取材。小林氏自らケニアパワーの強さを明かし、低迷する日本マラソン界に「活!」を入れた──。 「ケニアパワー? そりゃあ、私は常に『2本の脚で人生を切り開け!』と、貧しいランナーに叩き込んでるんだ。日本の高校や大学で活躍し…

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