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加藤清正特集

イラスト・宮西真由

加藤清正、福島正則らを老獪な戦略で操った徳川家康


家康が利用したのは福島正則、加藤清正、黒田長政らの石田三成への憎悪・嫉妬でした。 発端は文禄元(1592)年から始まった、朝鮮出兵にあります。 正則らは、朝鮮半島でひもじい思いをしながら戦っていましたが、一方の三成は国内で、秀吉の側近として仕え、朝鮮での戦の状況を報告する役目を担当していました。これが諸将の反感を招いたのです。 たとえば、清正。彼は同僚の小西行長を、「堺の薬売りの小倅」と蔑視し…

イラスト・森琴野

ライトアップ再開 いまも語り継がれる「熊本城の知恵」


この熊本城を建造したのが戦国武将・加藤清正であることは説明の必要もないでしょう。彼の前は佐々成政が豊臣秀吉の命で肥後(現・熊本県)に入ったものの、領国経営に失敗して切腹。その後継として清正が入国、肥後の北半分を任されました。 清正が熊本城建設に着手したのは、慶長6(1601)年で、完成までに6年かかりました。このとき「隈本」だった地名を現在の熊本に変更したと伝えられています。 板壁を柿渋で塗っ…

「治部の礎」吉川永青著


ただ、加藤清正らに見下され、忸怩たる思いを抱く。そんな中、秀吉の天下取りの真意を知った三成は、秀吉のもとで秩序をもって世の乱れを糾すという大義に生きることを誓う。 義に生き、日本の礎を築いた石田三成の生涯を描く時代長編。(講談社 1850円+税)…

熊本地震で被害を受けた民家

復旧には十数億円か…匠も手こずる熊本城「修復」の難題


加藤清正公が築いた名城を拝めるのはしばらく先になりそうだ。14日夜の熊本地震だけでも6カ所の石垣や天守閣の瓦などが崩れた熊本城。復旧のメドは立たないという。 「広範囲に石垣や瓦が崩れ、営業開始にはしばらく時間がかかります。熊本城は国の重要文化財でもあり、改修するのにも文化庁の調査が必要になる。崩れた一部を直すのか、それとも一から全面的に修復するのか。財源の問題を考えながら検討しています」(熊本城…

熊本城の3つの高層やぐら

火の国 熊本へ


熊本城は、加藤清正が慶長12(1607)年に築城した日本三名城のひとつ。本丸御殿の闇り通路や“武者返し”の石垣などに、西郷隆盛が難攻不落と嘆いたカラクリがあった。 火の国・熊本には阿蘇、玉名、天草など数々の温泉地がある。中でも、大分県境の山あいにある黒川・小国郷は、全国屈指の人気温泉地。入湯手形(1300円)を利用すれば、全24軒から3軒の露天風呂巡りが楽しめる。泉質も、ナトリウム・塩化物・硫…

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「清正を破った男」矢野隆著


愛に生きる弾正と武勲に生きる加藤清正の出会いと戦いを描く時代長編。(講談社 800円+税)…

浜町緑道のツツジ

木漏れ日がまぶしい浜町緑道


都営地下鉄「浜町駅」を降りてすぐ、浜町公園の片隅に加藤清正を祭った「清正公寺」はある。 公園は、加藤家の改易後に入部した熊本細川家の下屋敷があった場所で、敷地は1万4000坪。下屋敷でこの広さだから、さすがに54万石の大大名だけのことはある。 加藤家は2代忠広の時代の1632年に改易され、忠広は山形・庄内に1万石の捨て扶持を与えられて移り住んだ。改易の理由については諸説あるが、徳川による豊臣家…

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“ポスト真田広之”の呼び声 岡田准一は「歴史と格闘技オタク」


撮影のちょっとした合間も、腕立てや腹筋で汗を流して休もうとしないので、小泉監督らスタッフや共演者は驚いたそうです」(関係者) ■あるか、米国進出 その一方、歴史好きで社会科教師の道も考えたこともあるそうで、加藤清正ら武将などに詳しく、周りに歴史話を持ち掛けたりしていたという。スポーツ紙芸能デスクが言う。 「V6として、デビュー曲『MUSIC FOR THE PEOPLE』を出したのが14歳。上京…

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