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竹下登特集

【昭和の巨魁・田中角栄】昨今の政界のぶざまな体たらくの反動か、「あの」田中角栄に熱い注目が集まっている。


田中角栄に始まって政界なら中曽根康弘、竹下登、小泉純一郎らとの個人的な思い出をちりばめた人物列伝。その最初に登場する角栄は40年前、著者の初取材に驚くほど入念な準備をする人物だったという。当時の田原氏は40代初め。ジャーナリストとして一本立ちして売り出し中という程度だが、田中は田原氏の書いた記事をことごとく読んで取材に臨んだそうだ。要するにこれぞと見込んだ相手は肩書にかかわらず全力で対する“努力…

左から、田中角栄、二階堂進、竹下登

「生意気を言うな」車中に怒声が響いた


■馬は竹下登さんだけ 「先生は今後、3頭立てのトロイカ方式(集団指導体制)をお考えのようですが、馬になり得るのは竹下さんだけですよ。犬や猫では馬車にはならないと思います」 その瞬間、もの凄い怒声が車中に鳴り響いた。 「生意気を言うな!」 車は、関越自動車道に乗って東京に向かったばかり。それから1時間ほどの車中は氷のように冷たい空気が流れた。 「……」 「……」 当時、マスコミの前でオヤジさんは…

筆者所蔵のアルバムから

新潟県議が「竹下先生にオヤジの真意を話したら泣いた」と証言


君が後を継がなかったら、これまで応援してくれた地元の人に申し訳ないと思わないか!』 そうまくしたてられ……田中先生がいなかったら私は間違いなく政治家にはならなかった」(「週刊新潮」15年12月17日号) ■「安っぽく使うためじゃねえんだ!」 これまで竹下登氏は総理への道である幹事長の座を、父・角栄が阻止したことに反発して反旗を翻したと伝えられています。しかし、父の竹下登氏に対する思いは違いました…

「流した汗は決して嘘をつかない」の哲学


野中広務氏は竹下登氏と行動をともにして創政会を旗揚げしました。父に挨拶に行った時、「時は移り変わって、人も次々と変わっていくものだ。それは時代の要請だろう、おまえたちは天下国家を見失わず進んでいきなさい」と言われたと話しています。 父は物事にこだわらず恬淡とした性格でした。もしあの時、脳梗塞に倒れていなかったなら、竹下氏の謝罪を受け入れ、権力を譲り、後に総理に上り詰めた竹下登氏や橋本龍太郎氏の…

決起しない“社畜”たちを揺さぶる内部からの告発本


同じ旧財閥系の三菱並みの銀行にというのは住銀の悲願だったが、磯田一郎が頭取になって、竹下登らに接近し、その夢の実現に狂奔する。“闇の世界の貯金箱”といわれた平和相互銀行を吸収して首都圏進出を果たすのである。その過程では竹下に関わって「金屏風事件」なるものも起こった。 しかし、それでトップバンクの仲間入りをするのだが、磯田が後継頭取に指名した小松康は、少しは闇の勢力との関係を切ろうとする。それに対…

麻生太郎副総理、財務大臣

麻生太郎財務相 官房長官と冷戦も首相とはゴルフで手打ち


●歴代2位 財務相の在任日数が21日で1335日となり、竹下登の記録(1334日)を抜いて同一内閣の蔵相・財務相として戦後歴代2位に。首相在任期間は358日と短命だったが、財務相としては、歴代トップの池田勇人(1353日)に迫る。 ●失言癖 憲法改正は「ナチスの手口に学んだらどうかね」に始まり、暴言・失言に事欠かない。今年6月には、小樽市の自民党集会で「90歳にもなって老後が心配とか、わけのわ…

「ネックは金だ」の声も

金田勝年法務相は“ご褒美”でやっとこさ初入閣した在庫品


ま、その“ご褒美”もあって、やっとこさです」(永田町関係者) ●竹下登 秋田県潟上市生まれ。68年に秋田高を卒業後、浪人したせいで東大紛争と重なり、東大の入試が中止に。一橋大経済学部へ。旧大蔵省で主計官を務めるなど出世街道を歩んだが、竹下元首相から「遅れて出る優良在庫品の典型」などと乗せられ、家族の反対を押し切って政界へ転身した。95年参院選で初当選。 「金田のネックは金だ」(自民党番記者)なん…

佐藤昭子さん(写真左)と中曽根氏からの手紙

封がされていない中曽根さんからの手紙


ママと呼ばなかったのは竹下登さんくらいで、「おばちゃん」と呼んで佐藤さんを怒らせていた。 オヤジさんとママの関係を一言で言うと同志であり、右腕だった。オヤジさんは自分の他の女性のこと以外は何でもママに話した。そして話すばかりでなく助言も求めた。頭のいい彼女は、その都度、適切なアドバイスを用意した。要するに、愛人だとかといった薄っぺらな関係ではない。 オヤジさんは佐藤さんを信頼しており、9割は彼女…

左から鈴木善幸、田中角栄、橋本登美三郎の各氏

総勢1000人の秘書団がオヤジさんを支えていた


竹下登さんクラスになれば、東京の秘書名簿だけでも10人以上の名前があるが、1年生議員などは3人くらい。それでも東京に登録した者だけで380人ぐらいの秘書がいて、これに地元の秘書も加えれば1000人いた計算になる。これが選挙のたびに総動員態勢になるのだ。 ■SPならぬ「PSPの会」とは? オヤジさんを警護するPSPの会という秘書グループまであった。プライベート・セキュリティー・ポリスの略で、選りす…

あまりシャレた食事を知らなかった…

何か食べるとなると天ぷら、すきやき、中華だった


竹下登さんが創政会をつくったあたりから酒量は間違いなく増えた。なにせ、朝の陳情を済ませると、昼間から酒臭い。それで「おい、もう一杯くれ」となる。見兼ねた佐藤昭さんが「薄く作りなさい」と言うんだが、「こんな馬のションベンみたいなものが飲めるか!」となって、自分で勝手にドバドバとつぎ足して濃くしてしまう。 そんなオヤジさんが機嫌のいいときによく口ずさんでいたのが、「ヨコチンの歌」だった。オヤジさんは…

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