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船村徹特集

カツオ船を降りて鳥羽のホテルで5年間板前修業

歌手デビューする弟が調べてくれた船村徹先生の連絡先


それは歌手になりたいからではなく、ただただ船村徹先生に会いたい一心から。 船村先生とは不思議な縁というしかないんです。その当時、歌っている歌手は知っているけど、その曲を誰が作ったか、名前までは知らなかった。で、調べてみると全部、船村先生の曲だったんです。後々、訪ねていくことにもなるしね。 もっとも、全日本歌謡選手権は2回落ちました。予選で歌ったのは船村徹・作曲、星野哲郎・作詞の「おんなの宿」。歌…

鳥羽一郎と山川豊兄弟

警備員を振り切って駆け付けた弟の新人賞受賞


船村徹先生はほとんど横にもならない人だったから、付き人も文字通り寝る暇がないってことになる。一体、どういう毎日をどういう気持ちで過ごしていたのか、今となっては記憶がない。 「ウチに来ても、歌は教えませんよ」と最初に言われていたけれども、ただただ船村徹という人間が大好きで、先生のもとに行ったわけだから、俺から何かしてもらいたいとか言うようなことはない。内弟子なんて今じゃ昔の話だけど、当時も歌い手の…

更生保護司18年、漁港コンサート86回やってきた


漁港コンサートは船村徹先生に言われた。 「おかには交通遺児がいて交通事故で親を亡くした子供たちをいろんな人が手助けしている。同じように海には海難遺児がいるけど、おかと違って海の足長おじさんが少ないから、おまえは海で父親を亡くした家族、子供を手助けしたらどうか」 それで始めたのが漁港コンサートです。第1回は88年、茨城・那珂湊漁港でした。以来、これまで全国各地で86回やりました。 無料でコンサー…

船村徹氏の元で3年ほど弟子生活を続けた

船村先生のいる寿司屋で「君も一杯飲みなさい」と


船村徹を呼び出すとは何ごとだ」「俺を呼び出すのはどこのどいつだ」と。そしたら、ホテル地下の「千代田」という寿司屋のカウンターで何人かと飲んでいることが分かった。 それでそこに行ってパッと暖簾をあげたら、船村徹先生がデーンと座っている。で、もう顔を見たからいいや、そのまま引き返そうといったんは思ったけど、せっかく来たんだからと意を決して「実はこういうもので鳥羽から出てきました」と挨拶しました。手…

その名も“ぽん太”/(C)日刊ゲンダイ

紅白引退の“御大”に意外な過去…北島三郎は漫才師だった!


■その名も「ゲルピン・ちん太・ぽん太」 デビューさせヒット歌手に育ててくれた恩師である、作曲家・船村徹にも義理を欠かさない。船村は北島が歌手デビュー前、歌謡漫才コンビ「ゲルピン・ちん太・ぽん太」を組ませ、“ぽん太”として舞台の前座を務めさせたこともあった。 流しも恥ずかしくてたまらなかったという北島、漫才をするのはさぞつらかっただろうが、北島は今も「船村徹同門会」の名誉相談役を務めている。紅白…

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連載10037回 昭和ヒトケタ派の残影


大島渚、小田実、岩城宏之、白土三平、青島幸男、船村徹、江藤淳、石原慎太郎、藤田敏八、後藤明生など、すぐに頭に浮んでくるだけでも随分いる。稲盛和夫、横山ノックなども異色のヒトケタ派である。映画監督が多いのは、ヒトケタ派の特色かもしれない。 さらに昭和4、5年、8、9年あたりを考えてみると、無数の顔が浮かびあがってくる。そのあたりの世代が、このところ次々と世を去っていった。 野坂昭如、永六輔、大橋巨…

両親と(伝蔵さん・90歳、春枝さん・故人=84歳)

演歌が流行っていないと街に活気がない


歌については船村徹先生にコンコンと言われたことがわかるようになった。例えば、「男の港」の「板子一枚、生命を張った」という歌詞。この言葉をメロディーにのせたら、今の若い人が理解できるのか。この人は何を歌っているのかとなりかねない。歌詞が伝わらない。それでなくても、演歌の言葉自体が死語みたいなもので、「板子一枚、生命を張った」と歌っても、ウニャウニャ言っているだけと受け止められるかもしれない。 今…

楽屋では兄弟であまり話をしないとか

兄弟げんかあり、もらい泣きありのコンサート


船村徹先生は兄貴にレッスンをしなかった。漁師、海の匂いを消さないため。そういう兄貴の良さを心からわかっているのが船村先生のすごいところです。僕はというと逆で、匂いを消され、消されることで個性が出た。 僕の場合、肩の力が抜けているほどいい。例えば、今日はものすごく気合が入ってよかった、熱唱したな、満足、と思ったときはお客さんの反応がよくない。以前、熱があってフラフラの時に歌ったけど「最高だ」と。札…

自分の名前が付けられた電車の前で

おふくろは「うちだけで2枠は申し訳ない」と


上京した僕の後を追って船村徹先生の門下生になって3年、船村先生が兄貴にほとんどレッスンらしいレッスンをしなかったというのも分かる気がした。兄貴のデビュー時のキャッチフレーズは「潮の香りが似合う男」。鳥羽の漁師町で育った兄貴がまとっていた潮の香りをそのまま損なうことなく、歌に凝縮させようという狙いがあったのではないか。 船村先生はお茶くみや庭の草むしりなどをやらせ、放ったらかしにしているようでい…

内弟子になって2年、いよいよデビューへ

海を歌う歌い手が出てきたと言われた「兄弟船」


船村徹先生の内弟子になって約2年。馬渕玄三という音楽ディレクターをモデルにした五木寛之先生原作のテレビドラマ「新・海峡物語」(1981年)の挿入歌でデビューの話があったけど、船村先生が「まだ早い」と言って断った。 それを聞いた俺も、もっと先生のところにいたかったから、悔しいというような思いはなかったね。もともと「兄弟船」というのは、素人さんの書いた歌。新聞社が一般から公募して、優勝したらプロの作…

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