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村上隆特集

村上隆氏に教わった「アイアンの打ち方」の真髄


しかし、「ダウンスイングは左腰から」といっても、「腰は回そうとしないで、左ひざを前に向けておいて、肩の回転で振り抜いていく」と、日本と名のつく4大公式タイトルを年間制覇した村上隆プロに教わったことを今でも守っている。 「ダウンスイングは左腰から」といっても、腰(下半身)を回してはいけないというのだ。 左足を踏み込むようにしてダウンスイングを始動したら、下半身はそのまま動かそうとしないで上体(肩…

イラスト・ボギーマン

飛ばすには左手親指はショートサム


1975年に日本と名のつく4つの公式競技(日本オープン、日本プロ、日本プロマッチプレー、日本シリーズ)を1年で制し、賞金王になった村上隆はショートサムにしてからショットがよくなり、距離も出るようになったと言っている。 かつてサム・スニードが来日したとき、左手の親指を伸ばしていないので、同じように左手の親指を手前に引き付けるグリップにしたら振りが鋭くなったと言っている。 ベストセラーになった村上…

大会記録は更新したが…

松山英樹 日本ツアー2戦2勝の快挙を貶めた会見での態度


そこから多くのチャンピオンが生まれているのだが、村上隆が日本と名のつく4つの公式戦を年間制覇しグランドスラマーになったのは戸田にパットを教わった翌年のことだ。村上は「戸田さんに教えてもらったおかげ」と優勝するたびに言って、どこがどう良くなったのか、記者に質問されると分かりやすく答えていた。 青木功がフックからフェードに持ち球を変えたときも、質問すると詳しく答えていた。 樋口久子は全米女子プロ選…

メジャー7勝を含む米ツアー歴代5位の62勝

A・パーマーの遺言 「日本のプロは距離意識が強すぎる」


しかし、日本と名のつく4大タイトルを一年で制した村上隆にいわせると、「あれは肩の回転が鋭いためで、決して強くたたいているのではない」というのだ。 当時はパーシモンヘッドの時代であるから、日本選手の飛距離はせいぜい270ヤードぐらいだったはずだ。それが今は道具とボールの進化によって290ヤードは超えている。しかし、それでも相変わらず距離意識が強すぎるプロが多いのではないかと思う。 もっと飛距離が…

タッチが弱くカップに届かないシーンが多かった

松山の流し込むパットではメジャータイトルに届かない


フォロースルーでフェースをカップに向けておこうとすると転がりのよいパットは出来ないと、昔、日本と名のつく4大タイトルを1年間で制したパットの名手・村上隆がよく言っていたのを思い出す。 バルタスロールGCのグリーンはベント芝にポアナ芝が混じっている。ポアナは日本ではスズメノカタビラといわれ、最も嫌われている雑草だ。 ところがアメリカのコースはポアナ芝の混じったベントグリーンが多い。ポアナはベントの…

スコアを崩しても勝てるのだから金庚泰の笑いは止まらない

凡プレー連発 “世界で戦う気がない”男子ツアーの低レベル


村上隆のバンカーショットにJ・ニクラスが驚いたり、青木功がアプローチの練習をすると米ツアープロが集まってきたというのは有名な話です。そんな世界が認めるプロが日本ツアーには誰もいない。つまりゴルフが下手になっている何よりの証拠です。日本人プロは試合中も穏やかな表情で、本当に勝負師なのかと疑いたくなりますよ」 今季国内5戦を消化して韓国人プロ4勝、日本人プロ1勝。試合を見ている方にも下手がうつりそう…

近藤共弘

日本人プロは勝負の意味が分かっているか


AON時代に、日本タイトルという4つの公式競技(日本オープン、日本プロ、日本プロマッチプレー、日本シリーズ)を年間制覇し、ジャンボを王座から引きずり降ろして賞金王になった村上隆は、ショートゲームも人間離れしていた。 ジャンボは、パワーよりもサンドウエッジの技が際立っていた。一人一人、誰にも真似のできない武器を持っていた。 あのころは、負けたときの悔しがり方も尋常ではなかった。だから、負けた選手か…

イラスト・ボギーマン

トップは右足内側、フォローは左足内側で体重を感じる


「左足で地面をしっかり掴んでおいて、上体の回転で振り切っていけ」と昔、村上隆によく言われた。…

イラスト・ボギーマン

ダウンスイングはガニ股


このことは、日本と名のつく4大公式タイトルを1年間で制して、ジャンボ尾崎を抑えて賞金王になった村上隆も盛んに言っていたことだ。ダウンスイングで右ひざは動かさずに前に向けておいて、左足を踏み出すことによってダウンスイングを始め、クラブを振り抜くときに右ひざを送って右足をヒールアップすると飛距離が出ると教わった。…

青木功プロはパットの名手

日本人プロはハワイのグリーンを理解していない


1998年まではハワイアン・オープンといわれていた試合で、77年は村上隆が2位。83年には青木功がパー5の最終18番ホールで、第3打を直接カップに放り込んで逆転優勝、日本人として初めて米ツアーを制している。 トップ10に入った選手は他にもいるので、ハワイのコースは日本人には相性がよいのだと思っていた。しかし、ソニーオープンになってからは日本選手の成績はあまり芳しくない。 昨年、第3ラウンドで70…

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