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宗茂特集

セーターや普段着で施術する宗茂さん

あの人は今こうしている

双子マラソン兄弟の宗茂さん 今は売れっ子「気功師」に

宗茂さん(63)・猛さん(63)は日本で最も有名な双子マラソン兄弟。70年代後半から80年代の日本男子マラソン黄金期、現DeNAランニングクラブの瀬古利彦総監督との壮絶なつばぜり合いは今も語り草だ。双子の兄、茂さんはモントリオールから3大会連続して五輪代表に選ばれ、引退後は旭化成陸上部監督として森下広一、小島宗幸・忠幸、川嶋伸次らの名ランナーを育てた。さて、今どうし…

15年福岡国際では3位の佐々木もリオでは…

福岡国際もローカル大会に 日本マラソンが陥る“負の連鎖”

宗茂・猛兄弟や瀬古利彦、中山竹通らがしのぎを削った80年代は、国内レースでもテレビ中継の平均視聴率は40%を超えることもあった。 今はどうか。ある陸連関係者がこう言った。 「かつては、ボストンか福岡かといわれていたものです。それが今は、ローカル大会になってしまった」 リオ五輪代表の選考レースだった昨年でも同9.9%、一昨年は同7・6%(ビデオリサーチ調べ)と、さら…

「誠」の態度で秀吉、家康から絶大な信頼を勝ち取った

戦国武将サバイバル術

【立花宗茂編】秀吉、家康が惚れた統率力と「誠」を貫く姿

一般的にはさほど名を知られていないものの、秀吉や、一時は敵となった家康からも頼りにされた九州の名将・立花宗茂。本日は敵味方関係なく、愛され協力を請われた宗茂の本質に迫ってまいります。 高橋紹運の嫡男として生まれ、大友宗麟の家臣・立花道雪の懇望により養子となった立花宗茂。 数年後、主家である大友家が、島津や秋月の諸大名に攻め込まれるという事態が起こります。大友家に属す…

リオ五輪男子マラソンで16位に終わった佐々木悟

マラソン日本の終焉

記録会のタイムは“加工品”だから世界で通用しない

宗茂さんに、おまえが日本のマラソンをめちゃくちゃにしたと冷やかされたことがあります。最初の5キロを14分半で入るという、それまでやらなかったことを、ぼくがやったんです。でも、そのスピードで最後まで走れば勝ち。結果がすべてで、その結果を出すためどうするか考える過程がマラソンでしょうね。有頂天や自信過剰が危ない。記録は魔物なんです。 ■小学校の徒競走はいつもビリ ぼく…

92年バルセロナ五輪は4位

マラソン日本の終焉

秋から冬の競技なのに夏を最大目標にする本末転倒

この年はロサンゼルスオリンピックの代表選考会で、瀬古利彦さんが優勝して、宗茂さん、宗猛さんと続き、理想的な代表選考といわれた大会です。ぼくは14位に入り、翌84年に初優勝しました。ロスに行った3人が出なかったので、優勝しても、エース不在みたいな言い方をされたのを覚えています。 もちろん、オリンピックは目指しましたが、当時はいまのように代表選考会がすべてという考えはな…

リオ五輪女子マラソンでゴール後、笑顔で取材を受ける福士

マラソン日本の終焉

「自分はプロ」と言ったらコーチに叱られた

瀬古利彦さんも、宗茂さん、猛さんたちにしても、80年代のマラソン選手はみな、自分はプロだと思っていたはずです。実際、あの時代に陸上競技はアマチュアからプロ競技になりました。カール・ルイスやジョイナー、ブブカとかモタ、みんなプロです。 有森裕子さんがプロ宣言したとき、彼女に言ったことがあるんです。ぼくらはみんなプロだったよって。プロはお金とかそういうことじゃない。その…

話題が川内優輝だけでは…

スポーツ時々放談

1億円ボーナスも効果なし 男子マラソンの時代は終わった

宗茂が日本人で初めて2時間10分を切った78年の別府大分マラソンでは、25キロまでの5キロはすべて14分台だった。40年後のいま、ペースメーカーの設定は5キロ=15分である。 マラソンの話題といえば、公務員ランナーの川内優輝だけ。箱根駅伝で名の売れたエリートランナーは、実業団に入って自然消滅というのがお定まりのコースになった。年に一度のニューイヤー駅伝で飯が食えるの…

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