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若松勉特集

宙を舞ったというよりひっくり返った若松監督

歴史を変えた若松勉 二軍監督を経験して我慢を覚えた


外野手出身監督は日本一になれないというジンクスを、最初に打ち破ったのが若松勉(ヤクルト)である。日本シリーズが始まって52回目の2001年のことだった。 それまで、日本シリーズに登場した外野手出身監督は、大沢啓二(日本ハム=1981年)と山本浩二(広島=91年)の2人。大沢は藤田元司率いる巨人と戦ったが、投手力の差で2勝4敗。山本はこの連載の第3回と第4回で記したように投手を無理づかいし、3勝4…

どっちも不安

ヤクルトを率いた若松勉が日本一になるまで52年の歳月を要した


日本シリーズは1950年に始まり、66回の歴史を刻んだが、01年に若松勉(ヤクルト)が外野手出身として初の日本一監督の座に就くまで、52年の歳月を要している。 “名将”を戦術戦略に優れた監督とするなら、“知将”は権謀術数に長けた指揮官といっていい。外野手にどちらも存在しないのは、駆け引き、はかりごとが不得手だからであろう。 若松が日本一達成後、日本シリーズを制した元外野手は、西村徳文(ロッテ)…

評価一変

広島が「緒方カープ」と言われぬゆえん


優勝おめでとうございましたぁ!」 ヤクルト優勝の時に若松勉監督が使ったあのフレーズを使ったのが良い。監督采配で勝ったと自負する(たとえば星野や落合)なら、その達成感で「いやうれしいね、みなさん、ありがとう!」とは言っても「おめでとうございました」とは言わぬ。広島に限っては「緒方カープ」などと呼ばれたことがないのはその証拠だろう。 昨年、CS出場がポロリと手からこぼれ落ちた地元最終戦、ファンに挨拶…

松田(右)に打撃指導する秋山監督

唯一の複数回日本一 秋山幸二は人を育てた


日本シリーズを制した外野手出身監督は、若松勉(ヤクルト)、西村徳文(ロッテ)、秋山幸二(ソフトバンク)と3人いるが、複数回日本一になったのは秋山だけだ。 すでに記したように、若松の成功のキーワードは「我慢」であり、西村のそれは「和」であったが、秋山の場合は「人育て」といっていいかもしれない。なにしろ、いまをときめく松田宣浩や柳田悠岐は、秋山が育てた選手である。 「金を残すは下。仕事を残すは中。人…

西武監督時代の森祇晶氏

日本一6度の名将・森祇晶が力説 「捕手と外野手の視野の違い」


若松勉(ヤクルト)、西村徳文(ロッテ)がそれぞれ1回だ。 以前、森祇晶に取材すると、両者の視野の違いを力説した。 「捕手は90度のダイヤモンドを見渡し、野手に守備位置を指示する。両軍ベンチはもちろん、背後に立つ審判にまで目配り気配りを欠かせないから、視野は360度。対する外野手は、フェアゾーンを3人で守っているから、視野はせいぜい30度ぐらいやな」 メジャーリーグは、傾向がさらに顕著だ。選手会の…

4月5日には代打でサヨナラ打を放った

驚異の成功率 中日・小笠原「代打」で復活の理由を専門家解説


左の巧打者張本勲、若松勉も3割5分以上のシーズンは2S後で3割を打った。 ▽小野俊哉 1961年岡山出身。スポーツ・アクセス㈲代表取締役。早大理工学部卒、味の素、住友金属工業を経て、03年同社設立。プロ野球、メジャーリーグの記録を分析、評論し各メディアやメジャー球団に情報を提供している。…

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