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忌野清志郎特集

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生放送で「反原発」訴えた 忌野清志郎の電波ジャック事件


ー1989年10月ー 1909年5月2日、がん性リンパ管症で死去した忌野清志郎(享年58)。「日本ロック界の至宝」と呼ばれた独特の歌声で核兵器、原発に反対した反骨の男だった。 86年4月、ソ連チェルノブイリ原発事故が起きて放射能の恐怖が世界を襲った。原発、核への風当たりが強くなり、3年後の89年12月、ゴルバチョフとジョージ・ブッシュが東西冷戦の終結を宣言。長年続いた核戦争の恐怖から解放された瞬…

作詞家としてもヒット曲多数/(C)日刊ゲンダイ

反原発で闘う湯川れい子氏「女性閣僚?誰でもいいってもんじゃありません」


――ただ、亡くなった忌野清志郎さんの反戦、反原発の歌がネットで再び火が付いたりもしている。 彼の反戦の歌は、当時、レコード会社から発売できなかったんです。彼はそういう環境下でモノを言ってきた本当に数少ない人でした。だから、彼が残したメッセージがいかに正しかったか。今になって「そのとおりだ」って思う人が出てきた。日本ではロックシンガーとしてモノを言う人もなかなかいません。いまは、長渕剛さんが、唯…

作詞・作曲のほとんどを手掛けた

フォーク3人組「日暮し」武田清一さんはレコード収集家に


■RCサクセションの前身バンド 実は武田さん、09年に亡くなった忌野清志郎(本名・栗原清志)さんの国分寺市立第三中学校の2年先輩。「セイちゃん」「キヨシ」の仲で、バンドを組んだこともある。 「ボクが高3、キヨシが高1の時でした。彼の同級生の3人でザ・リメインダーズ・オブ・ザ・クローバーってバンドをつくったんです。外国のバンドのコピーが当たり前だった時代、ボクらはオリジナル曲に挑みましてね。キヨ…

インディーズだからこその見事な芸術活動


そんな中で忌野清志郎さん亡き後、静かに勇気ある歌を歌って、良心ある感性を発揮してくれているのが、一見、どこから見ても優しそうなジュリーこと沢田研二さんだ。 沢田さんは2008年に、憲法9条を擁護する自作の歌「我が窮状」を歌って大喜びさせてくれたけれど、放送でもなかなかリクエストはかからない。そんな中、今度は「こっちの水苦いぞ」というCDが出て、インディーズチャートで3位を記録(オリコン週間イン…

故・忌野清志郎の後を継ぎ「2代目自転車名人」も襲名

中年ランナーの星 鶴見辰吾は50歳でも「脱ぐと凄いボディー」


自転車の活用を推進するNPO団体から、故・忌野清志郎の後を継ぐ「2代目自転車名人」を襲名し、今でも月平均2000キロをロードバイクで突っ走っている。ブログをのぞいても、自転車関連のカキコミの隙間に仕事の報告があるほどの入れ込みよう。そんな自転車オタクがなぜ、マラソンに挑戦したのか。 「マラソン大会に出場したのは、地元開催の大会で初めてフルマラソンの部が設けられたから。50歳になった記念の意味もあ…

(C)日刊ゲンダイ

清志郎が愛した「四国」あり<新中野>


しかし鍋横には、あの忌野清志郎が愛したうどん屋「四国屋」がある。 「最初はお友達に誘われて。その後は、多い時で週3回。気に入ると同じものを続けて注文してくれる。一時はカレーうどんに凝っていた」(ご主人) 店ができたのは昭和30年代。鍋横が賑わっていた頃だ。ご主人の父親は、うどんの本場、香川県・坂出の出身。もともとは製麺所だったが、香川のうどんを東京の人にも食べてもらおうと、うどん屋に変えた。関…

(C)日刊ゲンダイ

卓球好きよ、集まれ<新中野>


その昔、うどんをすすっていたら、目の前に忌野清志郎が座っていたらしい。今日は腹いっぱいなので、別の日に来よう。 新中野駅周辺の鍋屋横丁は、江戸時代前期、参拝道として栄えたところ。文学的には、浅田次郎「地下鉄に乗って」の主人公が、タイムスリップする場所だ。大通りから入った道を歩くと、路上に古い器を大量に並べて販売している人がいたり、「同棲時代」の2人が住んでいたような古アパートがあったり、そしてそ…

「サラメシ」学研パブリッシング編


忌野清志郎が自転車で通った「四国屋」の肉きざみうどんなど、来店時のエピソードも交えて紹介する。 (学研パブリッシング 1300円)…

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