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徳川家康特集

イラスト・宮西真由

加藤清正、福島正則らを老獪な戦略で操った徳川家康

この戦を語る上で無視できないのが、徳川家康の老獪さです。豊臣秀吉の子飼いの武将たちを籠絡し、自分の部下のように働かせたのですから。 家康が利用したのは福島正則、加藤清正、黒田長政らの石田三成への憎悪・嫉妬でした。 発端は文禄元(1592)年から始まった、朝鮮出兵にあります。 正則らは、朝鮮半島でひもじい思いをしながら戦っていましたが、一方の三成は国内で、秀吉の側近…

イラスト・若生圭汰

日本史再見 英雄になれなかった男

豊臣家を救えなかった前田利家

徳川家康を刺し殺さず 時代は下がって慶長3(1598)年、秀吉が死没すると、豊臣政権の体制が揺らぎ始めます。利家と同格の大老となった徳川家康が、法度を破り、伊達政宗や福島正則らと勝手に婚姻を結んだのです。これに石田三成が異を唱えて、家康と対立。その結果、三成は謹慎処分を受けます。 利家の目には、家康の目論見が読めていました。秀吉子飼いの武将を反目させて、豊臣家を…

駿府城

新・お出かけ紀行

発掘調査に参加も 徳川家康が過ごした静岡県で歴史めぐり

NHK大河「真田丸」で内野聖陽演じる徳川家康は、幼年期、壮年期、晩年を静岡で過ごしている。竹千代と呼ばれた幼年期は今川の人質として、晩年は大御所として暮らした。ついのすみか、駿府城はほとんどが1635年の火災で焼失。一般公開されている巽櫓や東御門などは近年になって復元されたものだ。5階7層だったという天守は、残念ながら現存しない。 それでもここは訪れて損はない。静…

イラスト・齋藤礼実

日本史再見 英雄になれなかった男

伊達政宗 スペイン国王と組んで謀叛を企てていた

政宗は秀吉に臣従し、関ケ原の戦い(1600年)では徳川家康の側につきました。天下取りの野望をすっかり忘れたかのようですが、実は闘志満々。徳川幕府に叛旗を翻そうとしたのです。 それを語る前に、政宗を取り巻く人物を2人紹介しましょう。一人は家康の重臣で石見(現・島根県西部)や佐渡などの鉱山開発に尽力した大久保長安。徳川家に利益をもたらしました。 ところが慶長18(16…

「真田丸」初回の放送から

識者はこう見た NHK大河「真田丸」に複数の“仕掛け”

「堺さん以外にも、織田信長が吉田鋼太郎さん、徳川家康が内野聖陽さん、上杉景勝が遠藤憲一さんなど豪華キャスト揃いで、今後の活躍に期待ワクワクです。主役の堺さんは『半沢直樹』というより、『リーガル・ハイ』の古美門研介みたいでちょっとおちゃめなカンジ。堺さんの姉役の木村佳乃さんも会話の途中に『ねぇ?』などと言ってみたりで、重厚な大河ドラマというよりは“ファミリー大河”の…

NHKドラマ「真田丸」は堺雅人主演

NHKドラマ「真田丸」が100倍楽しくなる幸村トリビア秘話

大坂冬の陣に続く夏の陣で、幸村がわずかな手勢を率いて徳川家康の本陣である天王寺茶臼山に攻め込んだ突撃の武勇伝は有名だ。しかし、押し寄せる徳川方15万人に対し、勝ち目がないと判断した豊臣方は、浪人たちが次々と大坂から離れ、多勢に無勢。ところが、幸村の奇襲によって家康は2度も切腹を覚悟したらしい。どんな戦法を使ったのか。 「幸村が単身、家康の面前まで迫り、討ち取る寸前ま…

家康は苦労人だった

【徳川家康編】発想の転換で待ちの家康のごとく後日に備えよ

これから出番が増える/(C)日刊ゲンダイ

「官兵衛」で家康役 寺尾聰の“右目”なぜ閉じているのか?

役作りのために剃髪した岡田准一(33)の体当たり演技や、狂気の秀吉を好演する竹中直人(58)など、見どころは盛りだくさんだが、この先の話の中心人物となっていくのが徳川家康を演じる寺尾聰(67)だ。 次回「秀吉の最期」(11月9日放送)の予告でも、家康=寺尾の顔が大映しされたが、その寺尾について、ドラマ登場の当初からこんな疑問の声が上がっていた。 「寺尾聰の右目は、な…

どこかにお宝が?

鑑定団で曜変天目茶碗に2500万円 骨董“一獲千金”の狙い方

数千円で買った着物の箱を赤外線で調べたら徳川家康が袖を通した「辻ヶ花」と判明、1億5000万円に大化けしたことも。このほか骨董市で数千円で買った屏風絵が重文クラスと認められた話もあるという。 「ただ、素人が見分けるのはかなり難しいと思われます。この世界は競争が厳しく、目利きの人は朝4時から懐中電灯を片手に骨董市の開場を待っています。明治、大正の家を取り壊すときはドア…

イラスト・佐々木桜

日本史再見 英雄になれなかった男

奇襲のチャンスをつぶし関ヶ原で惨敗した石田三成の不運

慶長5(1600)年、豊臣政権五大老の一人・徳川家康が、上杉景勝の討伐を口実に出陣。これによって同年9月15日、関ヶ原で家康の東軍と五奉行の石田三成が組織した西軍が衝突し、東軍が大勝利したことはご存知でしょう。 この戦いで着目したいのが“三成の不運”です。戦の終盤に、味方の小早川秀秋に裏切られただけではありません。 たとえば決戦の半年前の3月11日、家康が大坂の前…

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