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藤圭子特集

女系3代の“断絶”が浮かび上がってきた

「銀行も誰も信用できない」 藤は現金がパンパンに詰まったバッグをぎゅっと抱きしめた


彼女のサクセスストーリーを取材して驚いたのは、祖母、母(藤圭子)、女系3代の家族の“断絶”だった。 「過去に澄子さん(祖母・竹山姓)の周囲が代理となって藤圭子さんと連絡をつけようとしたが、結局返事はなかったんです」 澄子さんの友人は宇多田家との音信不通が17年間続いていると話し、さらに、にわかには信じがたい証言を付け加えた。 「実は、藤圭子さんの実姉の富美恵さんがお亡くなりになっているのですが、…

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生い立ちから引退まで…宇多田ヒカルが知らない「藤圭子28歳」の素顔


<前川清との結婚、引退の真相…> 「二十八歳のときの藤圭子がどのように考え、どのような決断をしたのか。もしこの『流星ひとつ』を読むことがあったら、宇多田ヒカルは初めての藤圭子に出会うことができるかもしれない……。」 作家の沢木耕太郎氏が、8月に自殺した藤圭子(享年62)へのロングインタビューで構成した長編ノンフィクション「流星ひとつ」を緊急出版。その赤裸々かつ衝撃的な内容が話題になっている。 イ…

宇多田ヒカル

藤圭子はなぜ、娘を「ヒカル」と名付けたのか


娘の藤圭子や孫の宇多田ヒカルと長年の断絶状態にあった祖母は、都内の古びたアパートにひっそりと住んでいた。以下は、I記者と祖母の竹山澄子さんの一問一答だ。 ――同じ東京に住んでいる。17年間音信不通というのは本当ですか。普通じゃないですよね。 「私もそう思います。親子ながらも縁がなかったんだと考えるようにしています。ヒカルは孫だけど、娘はね、縁がなかったと。だからほとんどあの人たちのことは今は考…

歌手生活15周年/(C)日刊ゲンダイ

藤圭子「女のブルース」を歌い継ぐ一条聖矢「訃報は録音翌日」


歌姫・藤圭子の自殺には日本中がビックリしたが、中でも驚いたのはこの人ではなかったか。歌手の一条聖矢(48)。彼女の代表曲「女のブルース」のカバーCDを計画し、まさにレコーディングし終えた翌日に訃報が飛び込んできたからだ。 「実は8月12日に一度歌入れは終わってました。しかし、どうしても納得のいかない部分が1カ所あって、21日に修正し、ようやくレコーディングが終了したのです。そこへ飛び込んできたの…

宇多田ヒカル

ヒカルの体にも流れる「女系家族」の激しくも孤独な血


藤圭子が2006年、ニューヨークのJFK空港で米ドルをキャッシュで日本円5000万円相当を持ち込もうとした事件は、なんとも不可解だったが、くだんの報道後、フジテレビに出演した藤圭子は、「カジノで使うためのお金だった」と主張。さらにモナコ、香港、シドニーなどのパスポートの渡航記録をめくって見せ、「過去5年間はほとんど日本にいません。ファーストクラスの渡航費やホテルの滞在費など、5年間で5億円は使っ…

「流星ひとつ」沢木耕太郎著


<三十数年の時を越えて明かされた藤圭子の真実> 1979年秋。沢木耕太郎31歳。藤圭子28歳。藤圭子はその直前に、年末のコンサートを最後に芸能界から引退することを発表していた。突然の引退発表に、その原因を巡ってさまざまな臆説が流れていた。数カ月前に藤から「もうやめようと思うんだ」という言葉を聞いた沢木は、「どうして?」という答えを得るために、秋の一夜、藤が好きだというウオツカトニックを飲みながら…

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連載9936回 今ふたたび昭和の名曲


なかでも私が気に入っているのは、藤圭子がうたった『旅の終りに』である。本来、男うたであるこの歌が、藤圭子がうたうと両性具有の不思議な魅力がでてくるのだ。自分の持ち歌でもないのに、じつに見事にうたいこなしていて、やはり彼女は天才だったな、と思わずにはいられない。 いつだったか、彼女がロックをうたっている映像をみた。それもそれなりにサマになっていて感心した。美空ひばりのゴスペル・ソングもよかったが、…

宇多田ヒカル

宇多田家の“歴史の空白”を埋めるべく聞き込みを続けた


すると彼は、「落ち目だった頃の藤圭子の過去記事はほとんどなくて、まさか娘がそこまで有名になるとは思わないから、誰も記事にしていないんですよ。けど調べてみると、宇多田家と澄子さんが交流している形跡はないですね」 「ヒカルがブレークする前は藤圭子が必死で売り込みしていたけど、いざそうなると藤圭子と母娘であることはNGになったし、暗黒時代については一切触れない約束になっているからね。有名人が過去を隠し…

宇多田ヒカル

「藤は英語が話せて長身でスマートな彼にぞっこん。言ってみればヒモのような存在でした」


藤圭子は幼いころから浪曲師の父、三味線瞽女の母の門付けに同行し、東北や北海道を中心に旅回りの生活を送り、自らも歌った。お祭り、炭鉱、寺の本堂、旧家の大広間……。貧しいドサ回りの生活。幼いころは雨漏りのするアパートで、姉や兄と肩を寄せ合い、巡業で10日以上、家を空ける両親の帰りを待ったという。 藤の半生記「演歌の星」(ルック社)によれば、おかず代1日10円、5円で油揚げ、残りでアメ玉を買う。油揚げ…

ニューヨークで出産した長女が宇多田ヒカル

一度は引退も…藤圭子から“圭似子”に改名して芸能界復帰


―1981年7月― 藤圭子が「歌うことに疲れました。二度と芸能界には戻りません」と引退公演で涙を流し、渡米したのは1979年12月。しかし、81年7月に帰国し、“圭似子”と改名して芸能界復帰を宣言した。 藤(当時28)が引退を宣言したのは79年10月17日。記者会見で藤は「やめる理由はあくまでも私の内面の問題」と説明して、「まったく歌をやめます。間違ってもカムバックすることはありません」と決意を…

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