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佐藤昭特集

佐藤昭子さん(写真左)と中曽根氏からの手紙

封がされていない中曽根さんからの手紙


ママとは、佐藤昭さん(後に昭子と改名)のことで、「越山会の女王」「角栄の愛人」として記憶されている方も多いかもしれない。 オヤジさんと佐藤ママの出会いは、落選した1946年の第22回衆院選(進歩党公認)、茶色のマントを着たオヤジさんが彼女の地元の柏崎市を戸別訪問した際と聞いている。オヤジさん27歳、ママ17歳の出会いであった。 その後、紆余曲折があり、1957年に2人の間に一粒種の「敦っちゃん…

後ろが若き日の小沢一郎

オヤジさんの仲人で4人だけの祝言


隣には、しっかり「佐藤昭」の名前もある。 オヤジさんが仲人をしたことは、私やかつての同僚の記憶の中にはない。特別に目をかけていた小沢一郎さんの結婚式でも、仲人は二階堂進さんに任せ、自分は父親代わりをしただけだった。それだけに、少人数とはいえ、仲人席に座ってくれたことに驚いたし、とても感激したものだ。 ■小沢一郎を息子と呼ぶ オヤジさんが小沢一郎さんのことを「ワシの息子のようなものだ」と言っていた…

左から鈴木善幸、田中角栄、橋本登美三郎の各氏

総勢1000人の秘書団がオヤジさんを支えていた


1番はオヤジさん、2番が二階堂進先生、3番が佐藤昭さん。二階堂先生は、年はオヤジさんより9つも上だったが、「趣味は田中角栄」と公言するほどオヤジに惚れ込んだ人物で、第1次田中内閣では官房長官を務めている。政治家で持っている人は、この二階堂さんだけ。ちなみに、ラッキー7の7番は僕が持っている。血の結束というか、メダルはその血盟と言ってもいい。 団結といえば、秘書の結束は今でも固い。声をかければ、1…

あまりシャレた食事を知らなかった…

何か食べるとなると天ぷら、すきやき、中華だった


見兼ねた佐藤昭さんが「薄く作りなさい」と言うんだが、「こんな馬のションベンみたいなものが飲めるか!」となって、自分で勝手にドバドバとつぎ足して濃くしてしまう。 そんなオヤジさんが機嫌のいいときによく口ずさんでいたのが、「ヨコチンの歌」だった。オヤジさんはなかなか歌がうまかった。…

「すべて自分の力でやるしかない」という気持ちを常に持っていた角栄氏

「全ての責任はこの田中角栄が背負う!」


その女性こそが、僕が「ママ」と呼ぶ佐藤昭さんです。佐藤さんは実に聡明で魅力的な人だった。田中先生の愛人とか、越山会の女王とかいろんな言い方をされましたが、オヤジさんは佐藤ママには何でも話した。自分のオンナのこと以外はすべてです。そりゃまあ、女性に愛人の話をする男はいませんけどね。要するに、彼女はただの“妾”じゃないのです。 僕は、本当は板前か大工になりたかったが、出入り禁止はもっと困る。そこで…

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