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広岡浅子特集

日本基督教女子青年会(YWCA)の委員を務めていた

広岡浅子 最後の社会奉仕はYWCA設立への貢献


NHK朝ドラ「あさが来た」のヒロインのモデルになった広岡浅子は1911(明治44)年、62歳でキリスト教の洗礼を受ける。 その2年前、東京帝大病院で乳がんの手術を受けた彼女は、生死の境をさまよい、麻酔から覚める途中に「偉大な力」を感じ、神の力を信じるようになったという。 しかし、キリスト教への帰依の傾向は受洗前からあり、1905年に設立に協力した日本基督教女子青年会(YWCA)の委員を務め、大阪…

浅子の想いを継ぐ女子大生が学ぶ日本女子大学

日本女子大学の発起人・広岡浅子のゆかりの地


大同生命創設者の一人である広岡浅子をモデルにしたドラマで、主人公のあさを演じる波瑠(24)がかわいいと評判。玉木宏(36)の夫・新次郎(実在の人物は広岡信五郎)の飄々ぶりも一服の清涼剤となっている。 そんな大注目の広岡浅子だが、どんな人生を歩んできたのか、ゆかりの場所を訪ねてみた。 まずは、彼女の簡単な紹介から。三井家の本家筋に当たる小石川三井家6代当主・三井高益の四女(妾の子)として京都市油…

旧日商岩井の海部氏

双日 母体はダグラス・グラマン事件で悪名とどろかす


「総合商社双日へと続く 広岡浅子・広岡信五郎の物語」――。双日がホームページに掲載した文章のタイトルだ。広岡信五郎は双日の源流の一社である日本綿花(後のニチメン)の発起人の一人。妻は明治・大正の女傑といわれた広岡浅子。NHK連続テレビ小説「あさが来た」の主人公・あさのモデルだ。 2015年9月28日から16年4月2日までの放送期間中の平均視聴率は23.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。テレビ…

「七人の侍」のロケ地となった二岡神社

浅子は御殿場の別荘で村岡花子、市川房枝を育てた


広岡浅子(1849~1919年)は、この「赤毛のアン」にも少なからぬ因縁を持っている。 浅子は1904年、夫の信五郎の他界を機に事業を娘婿の広岡恵三に譲り、以後は篤志家として女性の地位向上に尽力することになる。 代表的な例が、14年から亡くなる前年まで静岡県御殿場の広岡家別荘で行った夏期修養会。次代を担う女性20人余を集め、国際経済、政治、宗教などの集中講義を行った。この夏合宿に参加したのが、…

残念ながら当時を偲ぶ面影はナシ

浅子が暮らした家は米国発祥のアイス店になっていた


ずっと大阪で暮らしてきた広岡浅子が55歳で夫の信五郎を亡くし、最晩年を過ごしたのが、東京市麻布区材木町63番だ。大正8年(1919年)にこの地で没している。 大正時代の地図を調べてみると、近所には第三高等女学校(現・都立駒場高)があり、女子教育に力を入れた彼女にはふさわしい環境だったことが分かる。 現在の住所は、東京都港区六本木6丁目2番付近。訪ねてみると、麻布警察署(大正時代は六本木警察署)に…

玉木宏演じる「新次郎」は情けない男

「あさが来た」新次郎のモデル 広岡信五郎は遊び人なのか?


実際、あさのモデルとなった広岡浅子に炭鉱事業を持ちかけたのは謡仲間から情報を得た信五郎でした」 ■尼崎の市外局番が大阪と同じ「06」の謎 後に信五郎が尼崎紡績(現・ユニチカ)を創業するのは朝ドラ好きの読者ならすでにご存じのことだろう。当時、すでに広岡浅子は念願の加島銀行や貿易会社の広岡商店も経営していたことから「尼崎紡績も浅子のアイデア?」と勘違いされそうだが、実は違う。これまた信五郎自身が謡曲…

濃いキャラを演じる柄本佑

朝ドラ「あさが来た」でイヤ~な存在感 柄本佑のモデルは誰?


主人公・あさのモデルが、日本初の女子大・日本女子大学校(現・日本女子大)を創設した広岡浅子であることはすでに有名な話だが、気になるのはドラマ内で表情ひとつ変えず、イヤ~な感じを出している山王寺屋の眉山惣兵衛(柄本佑)のモデル。一体誰なのか。歴史作家の加来耕三氏が言う。 「広岡浅子の姉・春(ドラマ内では、はつ)の嫁ぎ先といえば、天王寺屋五兵衛、本名・大眉光重ですね。残念ながら明治中期に断絶してしま…

「美女の日本史」別冊宝島編集部著


まずは冒頭では、テレビドラマの主人公に取り上げられ、ブームを巻き起こした明治の女性実業家・広岡浅子を特集。三井家に生まれ、大豪商の加島屋に嫁ぎ、炭鉱や銀行、生命保険会社の経営、そして日本初の女子大学設立など、その八面六臂の活躍はドラマでご存じのとおり。晩年のいかにも実業家然としたふくよかな姿は、お世辞にも美人とは言えないが、若き日に着物姿で読書する姿は、利発さが写真からもにじみ出ている。 幼い…

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西早稲田の大隈重信邸に足しげく通う


大阪を離れるのを嫌がる広岡浅子を説き伏せたのは、娘の亀子だった。 浅子59歳の時、胸に腫瘍(乳がん)が見つかり、帝国大学医学部の近藤次繁の外科手術を受けるため上京した。手術は1909年1月に行われ、30分ほどかけて腫瘍が摘出されている。 退院後、浅子は「外国人のオシャレな家が多いから」という理由で、麻布区材木町(現・港区六本木6丁目)に洋館を築き、ここで娘夫婦と孫に囲まれて晩年を過ごした。家の設…

連ドラ女優たちの夢の共演なるか

絶好調「あさが来た」 綾瀬&吉高“サプライズ出演”の現実味


また、吉高さん……というよりあさのモデル・広岡浅子と村岡花子は史実的にも面識があります。ここ一番、視聴率をグッと上げようと考えたら吉高さんしかあり得ないでしょうね」(前出の桧山氏) 2人のサプライズが実現すれば、99年の朝ドラ「すずらん」以来の30%超えも夢じゃない。…

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