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吉元政孝特集

忠岡ボーイズ時代の前田

中学時代編 走って走ってまた走った


検査後の試合で、岸和田イーグレッツの監督だった吉元政孝から「今日は野手で行け」と言われても、「痛くないから投げる」と、登板を直訴したほど。深刻なケガではなかったが、監督の阪川とも相談した上で、肘の状態が落ち着くまでは投手としては無理をしなかった。 中学1年時に1年間で身長が8センチも伸び、一時的に成長痛に悩まされたが、ハリを打ちながら乗り切った。秋ごろからは打撃を買われて試合にも出始めた。1年間…

表彰される岸和田イーグレッツ時代の前田(上)、前田が始球式を行ったサブグラウンド

「ケンタグラウンド」でつながる夢


当時の監督で現総監督の吉元政孝は、「各地の大会にエントリーしたが、あくまで大きな大会に照準を置いていた。勝ち進んで大会の決勝戦の日程が重なり、どうしようかと悩んだこともありました」と話す。 前田は中学進学にあたり、いくつかの硬式野球チームを見学。自宅から近い「忠岡ボーイズ」に入団することにした。親友の仲谷龍二は、兄が所属するヤングリーグのチームに入ることが決まっていた。 のちに2人は「忠岡ボーイ…

近畿軟式野球大会での記念写真(前列左が前田=岸和田イーグレッツ提供。下は当時の新聞記事)

小6で逆方向へ狙い通りの本塁打を放った


そこを狙っていけ」 岸和田イーグレッツの当時の監督・吉元政孝がベンチから打席の前田に声をかけた。小学6年だった00年9月10日、阪南市長杯大会の決勝戦。試合の中盤、2死満塁の場面で4番の前田が右打席に入った。同日の準決勝で完投しており、決勝戦は中堅で出場していた。 前田は前の打席で左翼に3ランを打っていた。対戦相手の田尻スポーツ少年団は長打を警戒し、極端なシフトを敷いた。左翼手がフェンス手前まで…

イーグレッツ時代の前田(左)、クラブハウスには前田からの寄贈品が飾られている

「仲間を大事にしろ!」 父は尻を蹴飛ばして怒った


当時の監督で現在は総監督の吉元政孝も、チャンスで凡退したら椅子を蹴り上げた。アウト、セーフの判定で明らかにおかしいと思ったら、父兄らが試合後に大会本部に怒鳴り込んだ。「一試合、一試合がプロ野球の試合かというくらい、みんなが真剣でした」と言う治茂は、前田が打たれたときも、「次はしっかりやり返せ」と励ました。 その治茂が一度だけ、前田を厳しく叱ったことがある。小学6年のときだ。ブルペンでの投球練習の…

ガレージではトス打撃を

母・幸代は少年野球の裏方として何でもやった


ときには監督の吉元政孝らと食事をし、アドバイスをもらった。前田が望めば、バッティングセンターにも連れて行った。 治茂は言う。 「野球に関して自分がやったことはそれくらいのもんです。ああせい、こうせいと強制することはありません。やりたいことをやったらいい、でも、やるならとことんやれ、と。あとは、負けるのは嫌だから、勝つために応援する感じでした」 仕事休みの週末は、岸和田イーグレッツの練習や試合を見…

入団当時の前田と仲間たち

野球ができない1カ月間はノイローゼ状態だった


そのうち父兄から「火曜もやってください」と要望があり、当時の岸和田イーグレッツの監督で、現在は総監督を務める吉元政孝(64)がこれを受け入れた。 前田は土日、練習が終わると、おにぎりで腹ごしらえして、ランニングやダッシュに励んだ。平日も夜8時ごろに練習が終わってから、遅いときは夜10時までグラウンドの外周を何往復もした。 吉元が懐かしそうに言う。 「健太をはじめ、子どもたちはみんなよく練習をしま…

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