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瀬古利彦特集

中山竹通さんとライバル関係だった瀬古利彦氏

21歳で結論 打倒・瀬古利彦には“つま先走法”


(つづく)…

「さいたま」5位で終わった那須川

世界に遅れる日本マラソン 派遣枠縮小示唆のナンセンス


しかし、それを言うなら長距離・マラソン強化戦略プロジェクトのリーダーの瀬古利彦氏(60)は、「今の選手は練習量が足りない」と言うだけでなく、画期的かつ具体的な強化プランを披露するべきだ。「派遣枠縮小」で選手を脅したところで記録は伸びない。…

リオ五輪は惨敗だったが

東京五輪で問題にすべきはマラソンコースだ


トカゲのしっぽ切りで済ませようと、長距離は瀬古利彦を担ぎ出し、マラソン担当部長として高岡寿成(カネボウ監督)と山下佐知子(第一生命監督)で4年後に備えるそうだ。 真面目な指導者だが、世界のマラソンはスピード化に拍車がかかって男子は2時間2分台をターゲットにし、一方で、東京大会の目標記録は2時間15分から20分。夏のマラソン論議もせずに何を期待するのか、ゴールは陽炎の中。伝統とは何だったのだろう。…

86年アジア大会(ソウル)男子マラソンで優勝した中山

暮れの五輪選考レースは3月にもう始まっていた


ソウルオリンピック前年で、どうしても瀬古利彦さんの記録、27分42秒を破っておきたかった。 ソウルの代表選考は、暮れの福岡国際マラソンの一発勝負に決まっていました。主催者側の事情で、東京、びわ湖も代表選考レースになっていましたが、すっきり決めようと、選手の間では福岡での一発勝負ということで決まっていたんです。 ぼくと佐藤進コーチが立てた計画は、瀬古さんが持つ1万メートルの日本記録突破でした。瀬古…

92年バルセロナ五輪は4位

秋から冬の競技なのに夏を最大目標にする本末転倒


この年はロサンゼルスオリンピックの代表選考会で、瀬古利彦さんが優勝して、宗茂さん、宗猛さんと続き、理想的な代表選考といわれた大会です。ぼくは14位に入り、翌84年に初優勝しました。ロスに行った3人が出なかったので、優勝しても、エース不在みたいな言い方をされたのを覚えています。 もちろん、オリンピックは目指しましたが、当時はいまのように代表選考会がすべてという考えはなかったですね。ひとつには、マラ…

リオ五輪女子マラソンでゴール後、笑顔で取材を受ける福士

「自分はプロ」と言ったらコーチに叱られた


瀬古利彦さんも、宗茂さん、猛さんたちにしても、80年代のマラソン選手はみな、自分はプロだと思っていたはずです。実際、あの時代に陸上競技はアマチュアからプロ競技になりました。カール・ルイスやジョイナー、ブブカとかモタ、みんなプロです。 有森裕子さんがプロ宣言したとき、彼女に言ったことがあるんです。ぼくらはみんなプロだったよって。プロはお金とかそういうことじゃない。その辺が、ぼくらの後の世代には伝わ…

リオ男子マラソンは佐々木16位、石川36位、北島94位に終わった

自己表現がなければこれほど面白くない競技はない


瀬古さんだってメダルも入賞もなかったけど、マラソンランナー瀬古利彦のイメージは残っています。そもそも、オリンピックで入賞しても賞状なんかもらえませんから。4位だった証拠は手元に何も残っていないんです。オリンピックの手応えは、自分とその時代の人が知っているだけですが、ぼくはそれで十分だろうと思います。 今回のマラソンは男女とも惨敗でした。情けないとか言いたくないですね。みんなそれなりに努力して走…

(左から)小椋久美子、G・G・佐藤、瀬古利彦

バラエティーで五輪の裏話、秘密バラす元選手がイタイ!


「五輪でメダル候補と言われながら、敗れてしまった一流選手」というくくりで登場したのは、マラソンの瀬古利彦、野球のG.G.佐藤、バドミントンの小椋久美子の3人。 佐藤が「メダルを逃したら、メディアにすごい叩かれた」と言えば、小椋も「負けると取材記者が一気にいなくなる」と五輪あるある話を披露。 「五輪で金メダルを取っていたら、10億円以上手に入っていた」と悔しがる瀬古。マラソン選手の場合、金メダルを…

イカンガーは83年福岡国際で瀬古と競り合い3秒差の2位

イカンガーがレースを引っ張った選考会の翌日…


「当時は瀬古利彦、宗兄弟、伊藤国光、喜多秀喜などがいてね。誰もがロスを狙える状況で、瀬古が所属するエスビー食品の中村清監督が私に言ってきた。『イカンガーを連れてきて、瀬古を引っ張ってくれ』とね。要するに日本人選手のペースを乱してくれと。まあ、中村監督は早稲田の大先輩だからね。一応『いいですけど、イカンガーは黙っていても先頭で突っ走りますよ』と言ったよね」 案の定、終始イカンガーは先頭で引っ張っ…

話題が川内優輝だけでは…

1億円ボーナスも効果なし 男子マラソンの時代は終わった


瀬古利彦は81、87年に2度も勝った。そんな栄光の足跡は見る影もない。 昨年の世界選手権の男子マラソンで日本選手トップの藤原正和のタイムは2時間21分6秒だった。往年のランナー、寺沢徹さんは首をかしげた。 「あの時の君原さんだって2時間17分です。暑かったんですけどね」 64年夏、東京オリンピックの練習の一環で、円谷幸吉と3人で走った北海タイムスマラソンを思い出してのことだ。 50年前の記録が出…

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