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豊臣秀吉特集

イラスト・中村深琴

豊臣秀吉は農民の劣等感から名家の娘に手を出した

戦国時代でとりわけコンプレックスが強かった人物といえば、豊臣秀吉でしょう。彼は尾張(現・愛知県西部)の農村出身でした。織田家で武士になれたものの、名家の娘を妻にするのは夢のまた夢。彼と結婚したおねは、織田家の足軽の養女に過ぎませんでしたが、それでも秀吉にとっては高嶺の花だったようです。 その生い立ちは秀吉に貴種への憧れを植え付けました。彼が憧れた女性として有名なのが…

「千利休切腹」の原因は豊臣秀吉との身長格差だった?

大河ドラマの常連である豊臣秀吉の肖像画は、ヒゲをたくわえた立派な顔貌で、体も非常に大柄に描かれている。しかしこれは、太閤の座についてからお抱え絵師に描かせたもので、コンプレックスの裏返しによるもの。実際の秀吉は猿面冠者とあだ名されるほど猿に似ており、しかも非常に小柄。成人男子の平均身長が157センチの時代に、140センチしかなかった。 また、おたふく風邪の影響で無…

「読み」の鋭さは抜群だった

【豊臣秀吉編】気持ちを察してサッとやる

なかでも、豊臣秀吉の「読み」の鋭さには、目を見張るものがございます。本日はひとつ、秀吉公に学んで参りましょう。 秀吉にまつわるエピソードは数々ございますが、皆さんが真っ先に思い出すことといえば、秀吉を名乗る前の「藤吉郎」の頃、信長の草履を懐に入れて温めた――話ではないでしょうか。 でも、本当のところは尻に敷いており、それを見抜いた信長に「余の草履、懐中にて温めておっ…

イラスト・齋藤礼実

日本史再見 英雄になれなかった男

伊達政宗 スペイン国王と組んで謀叛を企てていた

天下を取れたかもしれないほどの実力者なのに、奥州制覇まであと一歩のところで、豊臣秀吉が天下人となってしまいました。 彼は秀吉から、「上洛せよ」と命令されながら、再三にわたって無視。天正18(1590)年の北条攻めの際に、白装束で秀吉に拝謁し、「もう少し遅かったら首が飛んでいたぞ」と言われた逸話は有名です。 政宗は秀吉に臣従し、関ケ原の戦い(1600年)では徳川家康の…

ショーンK? 他人の性を名乗り存続した北条氏の“経歴詐称”

豊臣秀吉は木下姓から羽柴姓となり、最後は豊臣となりました。しかし、こうした改名は、公に行われたもの。 ■初代の早雲は「伊勢氏」 ここで思い出すのが、北条早雲です。伊豆、相模(現・神奈川県の大半)を攻略し、戦国時代の火蓋を切ったことで有名な人物ですが、彼は「北条」姓でありません。室町幕府政所執事・伊勢氏の一族で、実名は伊勢新九郎。その伊勢氏が北条を名乗ったいきさつの前…

16代目中里月度務さんが後を継ぐ窯「平戸松山」

極細筆で一気描きの三川内焼にメロメロ

三川内焼の始まりは、豊臣秀吉が朝鮮に出兵した「文禄・慶長の役」(16世紀末)。林さんによれば、平戸藩の領主・松浦鎮信が帰国の際に陶工を連れ帰り、現在の長崎県平戸市で窯が誕生したのがルーツのひとつ。そしてもうひとつのルーツは、豊臣秀吉の不興を買って領主が領土を取り上げられたため、唐津焼の陶工が九州各地に移り住み、その一カ所が三川内だったこと。 江戸、明治、大正、昭和…

イラスト・若生圭汰

日本史再見 英雄になれなかった男

豊臣家を救えなかった前田利家

前田利家には、豊臣秀吉のおかげで大出世を遂げた武将、とのイメージがあります。利家の妻まつと秀吉の妻お禰が女友達であり、家族ぐるみの交際が、男同士の絆も深めた、といえそうです。 利家が秀吉に協力したエピソードで有名なのが賤ケ岳の戦い。天正11(1583)年、秀吉が柴田勝家と闘った戦です。この年の正月、勝家の同盟者・滝川一益が、秀吉方の城を奪う挙に出ました。 秀吉はこれ…

イラスト・佐々木桜

日本史再見 英雄になれなかった男

奇襲のチャンスをつぶし関ヶ原で惨敗した石田三成の不運

映画「お吟さま」(1962年、田中絹代監督)では南原宏治扮する三成が利休の娘・お吟(有馬稲子)を豊臣秀吉にあてがうためにあれこれ画策。お吟がキリシタン大名・高山右近と不義密通の関係にあるとでっち上げて右近を追放。お吟に秀吉の側女となるよう迫る。 メガホンを取ったのは大女優の田中絹代。役者の道楽と笑うなかれ。映像といい演出といい、一流の作品に仕上がっている。「利休に…

GRAPHIC

「日本の城」山下茂樹著

豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎と名乗っていたときに一夜にして築いたと伝わる「墨俣城」(岐阜県)や、織田信長の居城として、そしてその死後には後継者を決める「清須会議」が行われた城として知られる「清洲城」(愛知県)など、歴史の舞台となった城々は、たとえそれが復元された城であっても、訪ねた人を往時へとタイムトラベルさせてくれる。 しかし、やはり圧巻は現存天守12城であろう。 …

イラスト・八木幸恵

秀吉の茶頭として出世しながら切腹に追い込まれた千利休

天正19(1591)年、豊臣秀吉によって、切腹させられました。 利休は織田信長の茶頭を務め、信長が本能寺で死亡したあとは秀吉に仕え、とんとん拍子に出世しました。大友宗麟をして「宗易(利休)ならでは関白(秀吉)様に一言も申し上げる人なし」と言わしめたほどです。 ただ、利休は他者を非難するきらいがありました。彼はかつての武野紹鴎門下の兄弟子にあたる津田宗及や今井宗久、信…

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