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黒沢明特集

映画「マグニフィセント・セブン」

中高年の“一匹狼”が殺到 「侍」リメーク映画が人気の理由

黒沢明映画「七人の侍」(1954年)と、同作を下敷きにハリウッドがこしらえた西部劇「荒野の七人」(1960年)の2本の要素を取り入れたリメーク作品……とまあ、まどろっこしいが、ひと言でいえば、弱きを助け強きをくじく西部劇アクションだ。 もっとも、強い女性をヒロインとし、7人のガンマンは黒人やコリアン、ネーティブアメリカンなど多人種で現代風にアレンジ。ド派手な銃撃戦は…

主演ドラマが苦戦中

芸能界クロスロード

来年には中学生 芦田愛菜に迫る「役者か学業か」決断の時

黒沢明監督は子役を起用する際、「演技力は二の次。役に適した子供らしい子」を選んだというが、芦田は子供らしさに群を抜く演技力も兼ね備えていた。それが今では「演技が大人顔負けに上手すぎて子供らしくない」という声も出るほど。 「子役」は原則、小学生までとされる。来年、中学生。そして高校進学もするだろう。中高の6年間は子役でも大人の役でもない。役者の世界ではもっとも中途半…

「運命の出会いだった」と振り返る

今あるのはあの人のおかげ

黒部進さんを俳優へと導いた山本嘉次郎監督“鶴の一声”

東宝の重役が反対する中、黒沢明監督を助監督として採用したり、三船敏郎さんを抜擢するなど独特の嗅覚をお持ちだった。 もし山本さんの一言がなかったら、僕は間違いなく東宝には入れなかったし、ずっと靴磨きのままだったかもしれない。今頃どうしていたやら……。 演技研究所ではみっちりと芝居やダンス、発声など基礎の基礎から教わりました。演技論や役者の心構えを担当されてた山本さんも…

黒沢明監督の「デルス・ウザーラ」

観ずに死ねるか

デルス・ウザーラ(1975年 黒沢明監督)

黒沢明は1970年に自宅を抵当に入れて「どですかでん」を撮り、商業的に失敗。翌年、自殺未遂騒動を起こした。その4年後、ソ連に渡って撮ったのがこの「デルス・ウザーラ」だ。本作は登場人物を黒沢本人に置き換えて観賞すると面白い。 舞台は1902年のロシア。コサック兵を率いて地誌学調査中のアルセーニエフ隊長(ユーリー・ソローミン)は、山中でゴリド人の老人デルス・ウザーラ(マ…

「羅生門」

孤独の映画

羅生門(1950年、黒沢明監督)

(森田健司)…

「悪い奴ほどよく眠る【東宝DVD名作セレクション】」

観ずに死ねるか

悪い奴ほどよく眠る(1960年 黒沢明監督)

もしかして甘利センセイもぐっすり? (森田健司)…

「わが青春に悔なし 【東宝DVD名作セレクション】」

観ずに死ねるか

わが青春に悔なし(1946年 黒沢明監督)

(森田健司)…

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観ずに死ねるか

椿三十郎(1962年 黒沢明監督)

(森田健司)…

故・根津甚八さん

大高宏雄の「日本映画界」最前線

荒ぶる魂と優しさ 俳優「根津甚八」の尽きぬ魅力とは?

映画では「その後の仁義なき戦い」(79年)から黒沢明監督の「影武者」(80年)、そして柳町光男監督の「さらば愛しき大地」(82年)に至る時期、根津さんは時代の最先端を走っていたといえる。筆者の“青春時代”と相まって、彼はわがヒーローとなった。 とくに「さらば愛しき大地」は、日本映画の金字塔にして、彼の代表作といって差し支えない。茨城の農村を舞台に、覚醒剤に溺れて肉…

タナダユキさん

この人に密着24時間

映画監督タナダユキさん 撮影時は5時起きで帰宅は夜11時

映画は父親に連れられて劇場で見た黒沢明監督の「影武者」がはじまり。しかし20歳を過ぎるまで映画監督になりたいと思ったことはなかった。演劇をやりたいと思ったが、映像のほうが面白いかもと感じて、やっと少しずつ映画を見るように。そして成瀬巳喜男や増村保造、相米慎二らに魅せられた。2001年にぴあフィルムフェスティバルのグランプリを受賞しデビュー。蒼井優主演の「百万円と苦虫…

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男たちの性豪列伝

「黄門さま」東野英治郎は年上妻を捨て25歳年下と

黒沢明監督の作品にも数々出演し、役者としての人生が軌道に乗った頃、家を出た。 33歳の時に英乃さんと結婚した。学生時代に間借りをしていた新宿区大久保の下宿屋の女将で、売れない頃に、金を工面してきた糟糠の妻だった。結婚2年後に息子の英心が誕生。 だが「俳優として生きるぼくの生き方と家庭的な所帯を望む彼女とは開きがあった」と、価値観の相違による別れを選んだが、毎月20万…

イラスト・齋藤礼実

嫉妬、憎悪…コンプレックスの日本史

弟・義経を死に追いやった源頼朝の“暗い嫉妬心”

この安宅を映画にしたのが黒沢明監督の「虎の尾を踏む男達」(1945年作、52年公開)。弁慶を大河内伝次郎、義経を岩井半四郎が演じる。狂言回しはエノケンこと榎本健一だ。 弁慶は疑いを晴らすために白紙の巻物をひろげて勧進帳をそらんじる。その姿を見つめるエノケンの表情はコミカルだが、緊迫感を高める。 見どころは弁慶らが一戦交えようとするも、関守の富樫左衛門(藤田進)が「…

写真はイメージ

Dr.中川のみんなで越えるがんの壁

【胃がん】ピロリ除菌と胃カメラで予防&早期発見

黒沢明の名作「生きる」には、体調不良で診察を受けた主人公が「軽い胃潰瘍」と告げられるシーンがあります。本当の病名は胃がん。映画が上映された1950年代、がんの告知はなされておらず、胃がんは胃潰瘍の名目で手術されていたのです。 それから60年余り経過した現在、胃がんの原因のほとんどがピロリ菌の感染であることが分かり、除菌で予防できる可能性が示唆されています。そこで、厚…

「七人の侍」のロケ地となった二岡神社

朝ドラ「あさが来た」の舞台を往く

浅子は御殿場の別荘で村岡花子、市川房枝を育てた

実は、この二岡神社周辺は映画のロケ地としても度々利用され、あの黒沢明の「七人の侍」では杉林が野武士を待ち受けるシーンに使われた。さらに、神社の本殿は北野武の「座頭市」でタップダンスの舞台にもなった。(つづく)…

残念ながら当時を偲ぶ面影はナシ

朝ドラ「あさが来た」の舞台を往く

浅子が暮らした家は米国発祥のアイス店になっていた

その二の岡の別荘だが、なんと黒沢明の「七人の侍」のロケ地になっていた……。(つづく)…

石坂浩二

映画の巨匠・市川崑の時代

金田一のボサボサ頭は脱色して黒く染め、さらにパーマをあてて…

黒沢明らと並ぶ日本映画の巨匠、市川崑の生誕100年を記念した映画祭が今月開催される。市川監督の仕事とはどのようなものだったのか。代表作「犬神家の一族」などに主演した石坂浩二(74)に聞いた。 ――金田一耕助役のオファーを監督から受けたとき、最初は断ったと? 「ええ。当時僕は35歳くらいだったと思いますが、金田一と言われても、40歳くらいという設定年齢すら知らなかった…

勝新太郎

スクープドッグ咆哮記「勝新太郎」編

突然の訃報。私は急いで自宅に向かった

黒沢明監督の映画「影武者」降板騒動、12億円の負債を背負っての会社倒産、そして1990年、ハワイ・ホノルル空港でコカイン所持現行犯逮捕。逮捕後の記者会見では「なぜ、パンツの中に入っていたかわからない。今後は同様の事件を起こさないよう、もうパンツをはかないようにする」ととぼけ通した勝さん。スキャンダラスな一方、訃報取材で私はあらためてその人柄に触れ、心底好きになった…

辺真一氏

二木啓孝の一服一話

ゲスト 辺真一さん平壌取材時に体験した「労働党員でなければ人にあらず」の現場

辺 当時、“北朝鮮の黒沢明、吉永小百合”といわれた監督と女優をインタビューしたのです。その時、労働党の指導員が同行していたのですが、その場で女優さんに命じて私のグラスにビールをつがせたのです。次は自分です。監督たちよりも自分の方が偉いということを見せつけたのです。 二木 監督さんたちの反応は? 辺 黙って従うばかりでした。玉流館という平壌冷麺の代表的なレストランに…

「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」の鶴岡雅義氏

タブレット純 わたしを語る

ムード歌謡は洋楽と日本的なテイストの絶妙なミックス

つまり、もともとハワイアンやラテンなどをしっかり自分たちで演奏できるメンバーが、色気のあるメーンボーカルと熟練のコーラスワークで、しゃれた大人の恋愛を表現する――具体的には「和田弘とマヒナスターズ」「黒沢明とロス・プリモス」「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」や、その系統に連なるグループの作品です。 今、ムード歌謡というジャンルはほとんど忘れられているか、そうでなければ会社…

「自分を支えてくれる言葉」と橋口監督

今あるのはあの人のおかげ

橋口亮輔監督の原動力は故・淀川長治さんの「1時間ダメ出し」

今までなさったのは黒沢明監督、宮崎駿監督、大島渚監督、周防正行監督、北野武監督……錚々たる方たちばかり。 それが無名の自主映画あがりの僕と対談したものだから、当時はちょっとした話題になったそうです。しかも、僕はデビューしたといっても、これから映画でご飯を食べていくんだ、なんてこれっぽっちも思っていなかった。自主映画は自分の人生の記録として撮っていただけで、「二十才の…

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