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木下恵特集

家賃3万5000円の警備会社の寮暮らし

元祖イケメン俳優・仲雅美さん 借金3億円に泣き今は警備員


でも、たまたまその1回を見た木下恵介監督から連絡があったんだ」 71年、TBSドラマ「木下恵介・人間の歌シリーズ」の「冬の雲」でデビュー。挿入歌のロシア民謡「ポーリュシカ・ポーレ」の日本語版を歌い、これが大ヒット。少女漫画から抜け出したような甘いマスクが女の子のハートをわし掴みした。 「マルベル堂のブロマイド売り上げ堂々の第4位! オレの勲章だね、ハハハ。しかし、ずっと大人の世界で生きてきた自分…

「映画女優」

映画女優(1987年 市川崑監督)


田中絹代は木下恵介監督の「楢山節考」(1958年)で健康な前歯を抜き、おりん婆さんを演じた逸話で知られる。本作はその大女優を吉永小百合が演じた劇映画。 1925年、絹代は極貧生活を脱するために大阪から上京、松竹映画の蒲田撮影所に入る。母やきょうだいら5人を背負い、最初は大部屋付きだったが、すぐに頭角をあらわし主演女優に駆け上がるのだった。 本作のユニークなのは日本映画の歴史を過去の白黒映像で解説…

故・三国連太郎氏

「血やツバも飲めた」という太地喜和子との関係


松竹のプロデューサーからスカウトされて、51年、木下恵介監督の「善魔」でデビューした。だが束縛を嫌う彼は、当時の業界のタブーを犯し、ライバルの東宝作品にも出演する。五社協定違反の第1号だった。ついに松竹を解雇され、車上生活を送っていた彼を拾ったのが、神楽坂の芸者だった。34歳の時にこの女性と結婚し、数年後に息子が誕生。俳優の佐藤浩市である。 39歳の時に太地と出会う。抜けるような白い肌をもち、1…

木下恵介監督(左)や深作欣二監督の戦争映画は必見

60本超上映…池袋・新文芸坐「戦後70年企画」で戦争を考える


木下恵介監督の戦前の作「陸軍」も特別な作品である。田中絹代扮する母親が、戦地に向かう息子を必死に追いかけるラスト。息子を思う母の悲痛な心情を表現して今でも語り草だ。今なら安保法制反対のデモに参加している若い母親たちにとくに響く作品かもしれない。 かつての戦争映画には今を考える重要な視点がたくさんある。この機会を逃さないでほしい。 (映画ジャーナリスト・大高宏雄)…

「月日の残像」山田太一著


戦争で疎開した子ども時代、松竹撮影所での助監督修業時代の思い出、木下恵介、向田邦子、市川森一などあの世に旅立ってしまった人との忘れられないやりとり、シナリオライターという職業から見た景色などが語られていく。さらに著者が若いときに読んだ本の中から気になった一節を抜き出して書いていたという「抜き書きノート」の内容も紹介されており、そこから著者の精神の軌跡をたどることもできる。劇作家のニール・サイモ…

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