日刊ゲンダイDIGITAL

  • facebook  
  • twitter  
  • google+

豊臣秀吉特集

出版HOT NEWS

「千利休切腹」の原因は豊臣秀吉との身長格差だった?

大河ドラマの常連である豊臣秀吉の肖像画は、ヒゲをたくわえた立派な顔貌で、体も非常に大柄に描かれている。しかしこれは、太閤の座についてからお抱え絵師に描かせたもので、コンプレックスの裏返しによるもの。実際の秀吉は猿面冠者とあだ名されるほど猿に似ており、しかも非常に小柄。成人男子の平均身長が157センチの時代に、140センチしかなかった。 また、おたふく風邪の影響で無…

16代目中里月度務さんが後を継ぐ窯「平戸松山」

江戸東京 町歩き

極細筆で一気描きの三川内焼にメロメロ

三川内焼の始まりは、豊臣秀吉が朝鮮に出兵した「文禄・慶長の役」(16世紀末)。林さんによれば、平戸藩の領主・松浦鎮信が帰国の際に陶工を連れ帰り、現在の長崎県平戸市で窯が誕生したのがルーツのひとつ。そしてもうひとつのルーツは、豊臣秀吉の不興を買って領主が領土を取り上げられたため、唐津焼の陶工が九州各地に移り住み、その一カ所が三川内だったこと。 江戸、明治、大正、昭和…

GRAPHIC

「日本の城」山下茂樹著

豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎と名乗っていたときに一夜にして築いたと伝わる「墨俣城」(岐阜県)や、織田信長の居城として、そしてその死後には後継者を決める「清須会議」が行われた城として知られる「清洲城」(愛知県)など、歴史の舞台となった城々は、たとえそれが復元された城であっても、訪ねた人を往時へとタイムトラベルさせてくれる。 しかし、やはり圧巻は現存天守12城であろう。 …

イラスト・中村深琴

嫉妬、憎悪…コンプレックスの日本史

豊臣秀吉は農民の劣等感から名家の娘に手を出した

戦国時代でとりわけコンプレックスが強かった人物といえば、豊臣秀吉でしょう。彼は尾張(現・愛知県西部)の農村出身でした。織田家で武士になれたものの、名家の娘を妻にするのは夢のまた夢。彼と結婚したおねは、織田家の足軽の養女に過ぎませんでしたが、それでも秀吉にとっては高嶺の花だったようです。 その生い立ちは秀吉に貴種への憧れを植え付けました。彼が憧れた女性として有名なのが…

「読み」の鋭さは抜群だった

戦国武将サバイバル術

【豊臣秀吉編】気持ちを察してサッとやる

なかでも、豊臣秀吉の「読み」の鋭さには、目を見張るものがございます。本日はひとつ、秀吉公に学んで参りましょう。 秀吉にまつわるエピソードは数々ございますが、皆さんが真っ先に思い出すことといえば、秀吉を名乗る前の「藤吉郎」の頃、信長の草履を懐に入れて温めた――話ではないでしょうか。 でも、本当のところは尻に敷いており、それを見抜いた信長に「余の草履、懐中にて温めておっ…

イラスト・齋藤礼実

日本史再見 英雄になれなかった男

伊達政宗 スペイン国王と組んで謀叛を企てていた

天下を取れたかもしれないほどの実力者なのに、奥州制覇まであと一歩のところで、豊臣秀吉が天下人となってしまいました。 彼は秀吉から、「上洛せよ」と命令されながら、再三にわたって無視。天正18(1590)年の北条攻めの際に、白装束で秀吉に拝謁し、「もう少し遅かったら首が飛んでいたぞ」と言われた逸話は有名です。 政宗は秀吉に臣従し、関ケ原の戦い(1600年)では徳川家康の…

失敗と成功の日本史

ショーンK? 他人の性を名乗り存続した北条氏の“経歴詐称”

豊臣秀吉は木下姓から羽柴姓となり、最後は豊臣となりました。しかし、こうした改名は、公に行われたもの。 ■初代の早雲は「伊勢氏」 ここで思い出すのが、北条早雲です。伊豆、相模(現・神奈川県の大半)を攻略し、戦国時代の火蓋を切ったことで有名な人物ですが、彼は「北条」姓でありません。室町幕府政所執事・伊勢氏の一族で、実名は伊勢新九郎。その伊勢氏が北条を名乗ったいきさつの前…

イラスト・若生圭汰

日本史再見 英雄になれなかった男

豊臣家を救えなかった前田利家

前田利家には、豊臣秀吉のおかげで大出世を遂げた武将、とのイメージがあります。利家の妻まつと秀吉の妻お禰が女友達であり、家族ぐるみの交際が、男同士の絆も深めた、といえそうです。 利家が秀吉に協力したエピソードで有名なのが賤ケ岳の戦い。天正11(1583)年、秀吉が柴田勝家と闘った戦です。この年の正月、勝家の同盟者・滝川一益が、秀吉方の城を奪う挙に出ました。 秀吉はこれ…

イラスト・佐々木桜

日本史再見 英雄になれなかった男

奇襲のチャンスをつぶし関ヶ原で惨敗した石田三成の不運

映画「お吟さま」(1962年、田中絹代監督)では南原宏治扮する三成が利休の娘・お吟(有馬稲子)を豊臣秀吉にあてがうためにあれこれ画策。お吟がキリシタン大名・高山右近と不義密通の関係にあるとでっち上げて右近を追放。お吟に秀吉の側女となるよう迫る。 メガホンを取ったのは大女優の田中絹代。役者の道楽と笑うなかれ。映像といい演出といい、一流の作品に仕上がっている。「利休に…

イラスト・八木幸恵

嫉妬、憎悪…コンプレックスの日本史

秀吉の茶頭として出世しながら切腹に追い込まれた千利休

天正19(1591)年、豊臣秀吉によって、切腹させられました。 利休は織田信長の茶頭を務め、信長が本能寺で死亡したあとは秀吉に仕え、とんとん拍子に出世しました。大友宗麟をして「宗易(利休)ならでは関白(秀吉)様に一言も申し上げる人なし」と言わしめたほどです。 ただ、利休は他者を非難するきらいがありました。彼はかつての武野紹鴎門下の兄弟子にあたる津田宗及や今井宗久、信…

イラスト・宮西真由

嫉妬、憎悪…コンプレックスの日本史

加藤清正、福島正則らを老獪な戦略で操った徳川家康

豊臣秀吉の子飼いの武将たちを籠絡し、自分の部下のように働かせたのですから。 家康が利用したのは福島正則、加藤清正、黒田長政らの石田三成への憎悪・嫉妬でした。 発端は文禄元(1592)年から始まった、朝鮮出兵にあります。 正則らは、朝鮮半島でひもじい思いをしながら戦っていましたが、一方の三成は国内で、秀吉の側近として仕え、朝鮮での戦の状況を報告する役目を担当していまし…

「元祖プレーボーイ」と呼ばれる火野正平

男たちの性豪列伝

何股かけたか分からない 火野正平の華麗恋愛遍歴

12歳で「劇団こまどり」に入団し、73年にNHK大河ドラマ「国盗り物語」の豊臣秀吉役で話題になる。「新・必殺仕置人」(テレビ朝日系)、「長七郎江戸日記」(日本テレビ系)など数多くのドラマや映画で活躍。2011年4月から自転車で全国各地を旅するNHK-BSプレミアム「にっぽん縦断 こころ旅」に出演中。 「若い頃は、二股どころか、何股かけたか分からない。11股とか報道さ…

ドラマ“掛け持ち俳優”の代表格

秀吉ロス続々 「真田丸」小日向文世“老いの演技”が高評価

NHK大河「真田丸」で小日向文世(62)演じる豊臣秀吉が7日放送分で最期を迎えた。 秀吉の正室、寧役を演じた鈴木京香(48)は、あるインタビューで「今、秀吉ロスです」と言っていたが、秀吉ロスは鈴木ばかりではない。ネットの書き込みでは全国から「あかん、泣ける」「秀吉の老いの描き方は秀逸だった」「もう一度見よう」という声が相次いでいる。ドラマのプロたちからも絶賛の声が上…

「真田丸」の脚本を手がけた三谷幸喜氏

小日向文世「秀吉から総理大臣へ」

秀吉役はベテラン俳優がやるものだと思っていた

で、天下人・豊臣秀吉に総理大臣。僕もそんな偉い人の役を演じる年になったんだなって思います(笑い)。 どの役を演じる時も、僕はまず台本のセリフを徹底的に理解することから始めます。咀嚼していくうちに役柄に血が通っていく。だから台本は必死に読み込みます。それが僕にとっての役づくりで、大河ドラマで秀吉を演じる時も変わりません。 無邪気にふるまいながら、内面には黒く渦巻くもの…

来院から10分弱でゲット

ジェネリックだから格安 “450円バイアグラ”購入のお作法

この数字がいかにスゴイかというと、EU離脱のイギリスから、さらに離脱しようとしているロンドン市民853万人より多く、豊臣秀吉の時代の日本の人口に匹敵する。男女合わせた糖尿病患者の950万人(厚労省調査)よりも上だ。 ところが、ED薬を利用した経験のある人はわずか19・2%。「誰にも言えない」と、ひとりで悩む男性は多い。本紙40代記者も同じで、最近は男性器が“ナイーブ…

今日の新刊

「中学3年分を一気に学べる 社会科の教科書」浜田経雄著

(「公民編」) 他に、征夷大将軍になるには源氏や平家の血筋が必要だったので、庶民出身の豊臣秀吉は近衛家の養子になることでなんとか〈関白〉になることができた(「歴史編」)など、中学校の社会科で習ったことの意味を教えてくれる、社会人のお役立ち本。(宝島社 1000円+税)…

「忍びの者」

観ずに死ねるか

忍びの者(1962年 山本薩夫監督)

だが雑賀衆は後継の豊臣秀吉の猛攻撃で全滅するのだった。 要するに信長を葬ったら秀吉という新しいヒトラーが現れてホロコーストを仕掛けてきたわけだ。田中角栄は「国家権力はやろうと思えば何でもできる」と語った。戦国時代も現代も権力者の危険性は同じ。だからこそ立憲主義が重要なのだろう。 (森田健司)…

イラスト・森琴野

失敗と成功の日本史

ライトアップ再開 いまも語り継がれる「熊本城の知恵」

彼の前は佐々成政が豊臣秀吉の命で肥後(現・熊本県)に入ったものの、領国経営に失敗して切腹。その後継として清正が入国、肥後の北半分を任されました。 清正が熊本城建設に着手したのは、慶長6(1601)年で、完成までに6年かかりました。このとき「隈本」だった地名を現在の熊本に変更したと伝えられています。 板壁を柿渋で塗った黒い外観。この渋い威容が熊本城のファンを引きつけて…

左から、田中角栄、二階堂進、竹下登

元秘書が語る 素顔の田中角栄

「生意気を言うな」車中に怒声が響いた

織田信長、徳川家康、豊臣秀吉の関係と似たようなものだ。 沈黙の車中は1分1秒が長かった。ようやく目白の自宅に着き、オヤジさんが車を降りた。その時、助手席で緊張している僕にこう言葉をかけた。 「さっきの話だがな、ちゃんと分かっている」 ぶっきら棒というか、あまり感情を感じない平板な調子だったように記憶している。この言葉に僕は救われたが、今でも僭越な発言をしたことを後悔…

イラスト・児玉泉

失敗と成功の日本史

乙武さんは不倫旅行で断念 出鼻をくじかれた信長と家康

木下藤吉郎(のち豊臣秀吉)がしんがりを務めて退却したのは有名です。信長は天下統一の出鼻をくじかれたわけです。 このとき、連合軍の一員だった家康も後年、同じような思いをしています。相手は真田信繁(俗称は幸村)の父・昌幸で、場所は信州(現・長野県)の上田城。こう書くと関ケ原合戦(1600年)の際、家康の嫡男秀忠が上田城を襲撃し、逆にきりきり舞いさせられた史実を思い浮かべ…

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

最新の競馬記事