連載<17>娘が視線を合わさず自室に消える

公開日:

 オムライスを作るために、卵を溶きながら、壁の時計を見た。

 里穂、遅いな……。

 ふと思ったまさにそのとき、傍に置いてあったスマートフォンが振動した。

 私は菜箸を置いて、端末をチェックした。

 思った通り、里穂からのメッセージだった。

 短いメッセージに目を通した私は、《了解です。帰りは気をつけて》とだけ返信して、スマートフォンを置いた。

 里穂はいま友達の家でテスト勉強をしていて、夕飯をご馳走になってから帰るとのことだった。

 私はボウルに溶いた二人分の卵をぼんやりと眺めた。そして、「まあ、いいか」と小声でつぶやき、そのまま手早く二つのオムライスを作った。

 完成したオムライスのうち、ひとつは冷蔵庫に入れておき、ひとつは食卓へと運んだ。

 テレビを観ながらの一人きりの夕食は、いつもよりもいっそう天井が高く感じた。せっかく高級な卵を使った完璧なふわトロも、さほど美味しくは感じない。

 なるほど「孤食」とはよく言ったものだ。

 里穂を東京に出したら、毎晩、自分はこんな気分で食事をとることになるのか――。

 そう思ったら、つい早織の遺影に視線を向けてしまうのだった。

 午後九時を過ぎた頃、ようやく里穂が帰ってきた。

 私はとくに叱りもせず「おかえり。風呂、沸いてるぞ」とだけ声をかけた。

 冷蔵庫のオムライスのことは、なんとなく言いそびれてしまった。

 里穂は、私が文句ひとつ言わないことにむしろ動揺したのか、「あ、うん」と小声で返事をすると、そのまま二階の自室へと上がっていった。

 その後も、とくに言葉を交わすでもなく、里穂は風呂に入り、私の視線を避けるようにして台所で水を飲んだ。そして、居間でテレビのニュースを観ている私の背中に「おやすみ」と小声で告げると、すぐに部屋から出ていき、ふたたび二階の自室へと消えてしまった。

 振り向いて言った私の「おやすみ」は、届かなかったようだ。

 一人になった私は、テレビを消した。

 そして、鞄のなかから二通の手紙のコピーを取り出した。

 あらためて、二通とも読み返してみる。

 夢を抱いた者が、勇気を出して最初の一歩を踏み出し、やがて夢を叶え、人生を充実させ、しみじみとした幸せを味わっている――。

 二通の手紙を合わせると、そんな「人生の教科書」とも言えそうな「流れ」が見えてくる気がした。

 私は、その二通を食卓の隅に置いて、代わりに、何も書かれていない真っさらな「水曜日郵便局」公式の便箋を目の前に広げた。 (つづく)

◇概要 震災で妻を亡くした光井健二郎は、高校2年の娘・里穂と2人暮らし。ある日、健二郎は勤め先の水曜日郵便局に届いた手紙をチェックするうちに、ふと思いついたことがあった。一方、家では進路をめぐって里穂と険悪になり……。

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

最新のBOOKS記事

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    また仰天答弁…桜田五輪相は地元も見放した“柏の出川哲朗”

  2. 2

    特番「細かすぎて伝わらない」木梨憲武&関根勤不在のワケ

  3. 3

    片山大臣が一転弱気 カレンダー疑惑“証人続々”に戦々恐々

  4. 4

    北方領土2島先行返還を阻む日米安保「基地権密約」の壁

  5. 5

    玉城知事の訴え効果あり 辺野古阻止は軟弱地盤が足がかり

  6. 6

    M&Aはコミットせず…赤字転落「RIZAP」子会社切り売り必至

  7. 7

    芸能記者ざわつく…朝ドラ共演の永野芽郁と志尊淳が接近?

  8. 8

    移民利権で私服を肥やす 天下り法人「JITCO」の“商売方法”

  9. 9

    カネだけじゃない…ソフトBが持つ最大の武器は“世界の王”

  10. 10

    都内のスーパーで特売品を 安室奈美恵「引退後2カ月」の今

もっと見る