セレブ妻が赤羽のサイゼリヤに落ちるまで 上流階級との「品格の差」に絶望【四ツ谷の女・大宮由香31歳 #3】
【四ツ谷の女・大宮由香31歳 #3】
【何者でもない、惑う女たちー小説ー】
悠々自適なセレブ生活を送っている医師の妻・大宮由香。ある日、お嬢様学校に通う娘のクラスメイト・愛舞(らぶ)とその母親・来良が家に遊びに来る。垣間見える品のなさに愕然とするも、来良から「同じ匂いがする」と親しみを持たれてしまう。それは他のクラスメイトの母親も感じていたようで…。【前回はこちら】【初回はこちら】
◇ ◇ ◇
葵が学校、夫の武雄が仕事に行っている平日の昼下がり。
自宅マンションに、静岡の実家からアポなしで由香の両親がやってきた。東京観光帰りだという。
「由香は、相変わらず豪勢な家に住んでるんだねえ」
彼らは扉を開けるなり、スリッパも使わずにズカズカと上がり込んできた。
「毎日掃除してるのか? 小さい頃、お前は叱られても片付けなかったのにな」
「ハウスキーパーが来てくれているから」
「ハウスキーパーってお手伝いさん? いくらかかるの!?」
「別にいいでしょ」
父の正光はリビングに入るなり、食器棚に飾ってあったバカラのグラスを取り出して水道水をゴクゴク飲みだす。母の伸江は素足のまま、その価値も分からぬカッシーナのソファにゴロンと寝ころんだ。
「お茶菓子出すから、ちょっと待って」
「そんな気ぃ使うなって。武雄君もいないんだろ」
そう言って正光は大きく放屁をした。他人なら呆れるが、東京に出る20年前までは見慣れた光景だ。
由香は、大きなため息をついた。
武雄の両親ならば、現在二人きりで暮らす軽井沢でも、こんな行動はしていないだろうと思うと…。
品格はごまかせない
由香は、気づいてしまった。
どんなに頑張っても、自分のそれはハリボテであることを。
品の良さや洗練さを見よう見まねで真似して、子供にも十分な教育を与え、自分もその世界に追いついていたと思っていた。
だが、どんなに取り繕っていてもホンモノから見たらバレてしまう。
上流階級の女性の品、それは付け焼刃で得られるものではない。所詮、自分はどうあがいても地方の焼肉屋の娘なのだ。あの日、鈴華の母のほほ笑みを見て思い知った。
――「強いて言えば、負けず嫌いなところでしょうか」――
自らが蔑んでいる来良と似ている部分を、このように評された。
負けず嫌い、言い換えれば、嫉妬深くプライドだけが高い人間であるということだろう。由香が来良の悪口を吹き込んだ後に出たこの言葉は、醜いという指摘をオブラートに包んだ忠告だ。
丁寧な言葉の意味を察した時、世界の断絶を感じた。
彼女たちのような、親の代からお嬢様学校に通う子女や父兄は、嫉妬とは無縁の高みにいる。生まれながら心身ともに洗練された存在なのだと。
自然と黒い感情が沸き、虚栄心やマウントをとろうと心が動く時点で、余裕と品性がない下品な人間である、と言われているようだった。
気が乗らないまま、赤羽のサイゼリヤに
次の日曜、由香は来良と赤羽のサイゼリヤでランチをしていた。
お誘いは来良のほうから。近所のイオンでポケモンキャラのグリーティングが行われるから一緒にどうかとLINEがあったのだ。
正直、気が引けたが、誘いがあると話したときの葵の嬉しそうな笑顔に負けてしまった。
愛舞さんが自宅に来て以来、葵は彼女の好きなポケモンの情報を、タブレットの設定を変えるなどして、小さいなりに知恵を振り絞って仕入れているようだ。
なぜか居心地の良さを感じるようになって…
「この二人、クラスでは仲良しすぎて浮いているみたいよ」
ポケモン図鑑を眺めてクイズを出し合う娘たちに温かな視線を送りながら、来良はドリンクバーで入れて来たコーラを傾けていた。
「でしょうね」
溜息をつきながらも、受け入れざるを得ない。愛舞といる葵は本当に楽しそうな笑顔を見せているのだから。
「参観日の時に言われちゃったのよ。誰だっけ、いっつもバーキン見せつけて歩いているあの人に」
「鈴華さんのお母さま?」
「そう!『浮いているから何なの?』って言ってやったけど」
ゲラゲラと笑う彼女に、由香は同調していた。久しぶりに日常で感じた居心地の良さ。いざ、受け入れてみるとラクなものだった。足を組んで、頬杖をついている自分がいる。
「ねえ、なぜこの子たちはあの学校に入ることができたのかしらね」
明確な答えを求めているわけではなかったが、ぼんやりと来良に尋ねてみた。そんな雑談ができる空間がこの場に流れている。
「そんなのわかんないよ。由香さんは義理のお母さんがOGだからでしょ?」
「まあ…それもあるだろうけど」
「あと、葵さんと仲がいいからじゃないの。うちの学校は面接で母娘の関係性を重要視するってお教室の先生が言っていたし」
母の願いを叶えてくれた娘
確かに葵と自分の関係性が深いのは事実だ。彼女があの学校に合格したのも、「お嬢様学校に入れたい」という母親の願いを叶えるために必要以上に頑張ったからではないかと思う。
ただいずれ、もし葵に確固たる自我が芽生えたらその意志は尊重したいとは思う。
今日もそうだ。
つい最近まで、由香はポケモンを男児向けの乱暴なアニメだと思っていた。しかし、葵が興味あると知り、その印象はだんだんと変わっている。
ポケモンのクイズを楽しそうに出し合う女児たちの様子に由香は目を細めた。民放テレビは解禁してもいいかと思い始める。
「うちの愛舞はさ、前も言ったように、めちゃめちゃ賢いのよ! 校風的に入る学校間違えたと思ってるから、中学受験で抜け出すつもりよ。私も夫も偏差値高かったし、桜陰なんてどうかなって思って」
マウントなのか、純粋に親バカなのかギリギリの発言をする来良だったが、その天真爛漫さが由香にとって気持ちよかった。
「うちもそうしようかしら。葵は負けず嫌いだしね」
「でしょー? やっぱり、葵さんも由香さんとも通じるところがあると思っていたの」
「ちょっと待って、一緒にしないで」
これが私の世界の限界
来良は手を叩いて笑い、由香もそれを追う。
そして、お義母さまから言われた「無理に私の家に合わせなくとも」という言葉も、背伸びする由香の根の部分を見透かしていたゆえの言葉だということに気づく。
――きっと、これが私の世界の限界…。
絶望の底に見えた、葵の楽しそうな笑顔。ここが自分のいるべき場所なのだろうかと、下町のファミレスの絶叫とざわめきの中で自らに問う。
拒否したい自分がいながらも、その日、由香自身も久しぶりに大きな声で笑えたのは、抗えない事実であった。
Fin.
(ミドリマチ/作家・ライター)