「ウザいって言ってたよ」怖いのはネット? それとも…SNSなしでも“炎上”したあの頃。悪意が燃える瞬間
忘れられない小学生時代の苦い記憶
SNSがコミュニケーションの重要なツールとなって久しい。速さに追われる時代に、言葉を選ぶ“間”の大切さを思い出させてくれる——30代以上ならそう考えたことはないでしょうか?
「SNSで人間関係が壊れるなんて、昔はなかったよね」そう言う人がいるけれど、私はそうは思わない。だって、ネットもスマホもなかったあの頃だって、“言葉ひとつ”で世界がひっくり返ることはあった。
私の友人・真理子(38)が話してくれたのは、小学生の頃の忘れられない出来事だ。
真理子のクラスには、リカという女の子がいた。顔が可愛くて、おしゃべりが上手で、いつも人の中心にいるタイプ。先生に叱られてもどこか憎めない、クラスの“人気者”だった。
ある日の休み時間。リカが何人かの女子を集めて、こそこそと話していた。
「ねぇ聞いた? 真理子が、ユカちゃんのこと“うざい”って言ってたらしいよ」
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悪気がなくても
最初は、誰も本気にしなかったという。でも「私も聞いた」「○○ちゃんも言ってた」──その一言が、噂に信ぴょう性を持たせた。
やがて、真理子の机の周りには小さな“見えない壁”ができた。話しかけても返事がない。グループ分けのときも、「私、あっち行くね」と視線をそらされる。
真理子には、身に覚えがなかった。それでも「そんなこと言ってない」と弁解すればするほど、“やましいから否定してる”ように見られる。
“誰が本当のことを言ってるか”なんて、子どもの世界では関係ない。リカが言えば、それが“真実”になる。
「嘘をついた子より、信じた子たちのほうが怖かった」
真理子はそう言っていた。リカの言葉を疑わず、軽い気持ちで「そうなんだ〜」と頷いた子たち。悪気がなかったのかもしれない。
でも、その“無責任な相槌”が、ひとりの子の居場所を奪った。「噂を信じる人も、広める人と同じくらい罪深い」と痛感したのは、そのときだった。
大人になっても変わらない
年月が経って、真理子が大人になった頃。今度はSNSが、同じような“噂の伝達装置”になっていた。
ある日、同僚の女性が社内チャットで同僚の悪口を書き、誤送信して炎上。誰かの裏アカが暴かれて、コメント欄が騒然とする。真理子はその光景を見ながら、心の奥がひやりとしたという。
「結局、あのときの“教室の空気”と同じなんだよね」
リカが撒いた言葉の種が、今は“リポスト”や“スクショ”になっただけ。人間関係の構造なんて、20年経っても何も変わっていない。
“誰かの悪口”は、まるで魔法のように広まる。信じたい人には心地よく、退屈な日常にちょっとしたスパイスをくれる。だからこそ、人は噂話を簡単に手放せないのだろう。
消える言葉の軽さと無責任さ
けれど、ひとつだけ違うのは、昔は「言葉が消えなかった」ということ。手紙でも、ノートでも、一度書いたら消せなかった。だから人は、少しだけ慎重だった。
いまはボタンひとつで送れる。消すことも、ブロックすることもできる。でも、その軽さが人をどんどん無責任にしていく。
「ネットが悪いんじゃない。人の口が怖いんだよ」
真理子のその言葉が、胸に残った。
変わらないトラブルの構図
確かに、SNSのせいでトラブルは増えたかもしれない。
でも“悪口を楽しむ人”“噂を信じる人”“空気を読んで黙る人”——。その構図は、昔からずっと変わっていない。
ただ、あの頃よりも、拡散のスピードが速くなっただけ。そして、誰も責任を取らなくなっただけ。
娘に託すこと
真理子は今、娘が学校から帰るたびに「今日何かイヤなことあった?」と聞くという。自分があの頃、誰にも助けてもらえなかったからだ。
「娘にはね、“噂話をうのみにしない人”でいてほしい」
そう笑う真理子の顔は、どこか誇らしげだった。
——SNSがない時代にも“炎上”はあった。ただ、火をつけたのはツイートじゃなく、“人の言葉”だっただけ。
そして今もなお、その火種はどこにでも転がっている。画面の向こうにも、あの頃の教室にも、変わらずに。
(おがわん/ライター)


















