斎藤幸平氏 ウィズコロナで考える“資本主義ではない”社会
新型コロナ禍は資本主義が引き起こしている環境危機のひとつ――。経済思想で注目される気鋭の学者の見解だ。出版されたばかりの新著「人新世の『資本論』」(集英社新書)では、今回のパンデミックを、資本主義というシステムを見直すきっかけにすべきと主張する。ならば我々は、どういう世界を展望したらいいのだろうか。
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――気候変動などの環境危機は、資本主義が原因だと訴えていますが、コロナ禍もそのひとつだと。
そうです。資本主義というのは、利潤を求めて地球全体を掘り返し、森林を切り開き、あらゆるものを商品化しながら、際限なく膨張するシステム。これを続けていたら、人間たちの経済活動の痕跡が地球全体を覆い尽くし、復元不可能なポイントまで環境を破壊してしまった。これが現在の「人新世」と呼ばれる時代で、その結果が、コロナ禍をはじめとする環境危機だったわけです。
――資本主義が環境を破壊し、コロナ禍を招いた。
未知のウイルスは地球上にたくさん存在するものの、自然の奥深くで抑え込まれていた。ところが資本主義は森林を切り開き、ウイルスと接触するリスクを高め、グローバル経済にのって、世界中に広がった。途上国の惨状を無視してきた先進国の我々も、コロナ禍で資本主義の弊害から目を背けられなくなりました。日本人が資本主義の受益者から被害者になる歴史的転換点です。「ウィズコロナ」って言われますが、ウイルスのいるところに境界線を引いて、その内側で生きていくしかない。
――だから、資本主義を見直した方がいいと。
コロナの打撃はワクチンや治療薬などが開発されれば、なんとかなるでしょう。一方、気候変動にはワクチンなど存在せず、簡単には良くならない。「100年に一度」の豪雨や台風が、毎年日本を襲うようになっていますが、経済成長を追求するかぎり、二酸化炭素の排出量が増大し温暖化は止まりません。問題を解決するためには、資本主義というシステムそのものに挑まなければならないのです。
■安倍首相は「コロナに負けたリーダー」
――資本主義が行き詰まっているという見方はコロナ禍以前からありました。
資本主義は2つの限界に直面しています。1つは既にお話しした自然環境的な限界です。自然をひたすら切り開き、安価なものを大量に売りさばく経済モデルは、どう考えても持続可能ではない。もう1つは成長の限界。特に日本は、いわゆる「成熟」状態で経済成長する見込みがない。そうなると、労働者たちを安い賃金で長時間働かせて儲けを出すという非常に残酷なシステムになるしかない。これも持続不可能です。
持続可能でない状態を続けていると、危機がやってくる。2008年はリーマン・ショック、今年はコロナショックです。そして気候変動危機も来る。その時に、新しいシステムというオルタナティブ(既存のものに代わる何か)がないと大変なことになる。安倍政権はまさにそうでした。言ってみれば、安倍首相は「コロナに負けたリーダー」だと思います。
――コロナに負けたリーダー。その視点は興味深い。
要するに、社会を統治できなくなるんですよ。コロナ禍に対し、安倍首相は何もできなかったじゃないですか。最後は、国会も開かず、隠れていることしかできなくなった。統治できなくなって、政治家がさじを投げてしまう状態を、この本では「野蛮状態」と定義したのですが、安倍政権の末期はその兆しがあった。「野蛮状態」は最悪の帰結です。国家や政府が全く機能しなくなると、社会は自衛のための競争と相互不信が蔓延して、分断が深まってしまいますから。本来、危機に立ち向かうためには、連帯が必要。だから、リベラルの側が社会的連帯に向けた新たなシステムのビジョンを出さないといけない。
――リベラルというと、野党の側が資本主義に代わるシステムを提案すべきだと。
党の合流にしか興味がないようですが、本来は、新しい社会をつくるための大きなビジョンをつくらなきゃいけない。「皆さん、こんなに搾取されて、自然もめちゃくちゃにされて、生活がもう成り立たない。子供たちの世代を考えたら絶対にヤバイことになりますよ。全く違う新しい社会をつくりませんか」と呼びかけなきゃいけない。
ところが、現実にリベラルから出てくるのは、「消費税を減らしましょう」程度の話。「今まで通りバンバン消費して、経済を回復させましょう」ではなく、成長を追いかけることそのものに終止符を打とうとか、新しい想像力をかき立てるようなビジョンが本当は必要なのです。