平成3年<2>関西馬を鍛えた栗東トレセンと阪神の坂

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 昨秋はアーモンドアイに始まり、ステルヴィオ、ルヴァンスレーヴ、ブラストワンピースなど、関東馬がGⅠで続々と勝ち名乗りを上げた。とはいえ、年間トータルでみると関西18勝、関東11勝。「東の時代の再来」とは言い切れない。

 全体も関西の2029勝に対して、関東は1428勝。まだまだ大きな隔たりがある。

 では、いつからそんなに関西馬が強くなったのか。この年だ。

 重賞勝ちの推移を調べれば、はっきりする。

 昭和62年は関東が63勝で、46勝の関西をリードしていた。ところが、63年になると関西61勝、関東49勝とまず逆転。その後も平成元年(昭和64年分も含む)が関西63勝、関東46勝。2年は関西66勝、関東43勝だった。

 そして、3年になると関西は76勝も挙げて、関東はわずか32勝。一気に“西高東低”の時代に突入――。

 栗東トレセンに坂路(3年当時は500メートル)ができたのは昭和60年、ウッド完成は平成元年だった。最初は厩舎関係者も試行錯誤だったはず。調教のノウハウが確立され、効果が出たのがこの頃なのだろう。
 またたく間に関西馬は大レースを席巻した。

 それだけでなく、特に東京開催になると平場、特別戦にもバンバンと遠征するように。前年の東京における関西馬の勝利数は19だったが、一気に71にまで増加。翌年には125に。明らかに競馬の大きな流れが変化した時といえる。

 “坂”というワードでもうひとつ。それまで平坦コースだった阪神に直線の坂が造られた。しかも、この新装コースは結構、路盤が軟らかかったため、非常に時計がかかった。新装オープンは11月30日。1開催のみの数字とはいえ、千六の最速は1分36秒1(勝ち馬は有馬記念も連勝するダイユウサク)、二千は2分3秒6というタフさだった。二千で2分を切るまで実に2年半もかかっている。

 それは6年5月の京阪杯=ネーハイシーザーで1分58秒9。もっとも、年間で2分を切ったのはこのレースだけ。ズバ抜けた速さだった。

 シーザーは秋に大ブレーク。毎日王冠→天皇賞と連勝を果たしている。

 阪神のこの坂も関西馬を強くした要因のひとつかもしれない。

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