【平成19・20年】ウオッカによる牝馬時代の始まりと武豊長期政権の終わり

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 今、世界が注目している馬として名が挙がるのがオーストラリアのウィンクス、イギリスのエネイブル、そして日本のアーモンドアイ。全て牝馬だ。

 では、日本の牝馬はいつからこんなに強くなったのか。先鞭をつけたのは19年のダービー馬ウオッカだろう。

 もちろん、その少し前にも牡馬を蹴散らして、中距離のGⅠを取った馬はいる。17年の宝塚記念=スイープトウショウ、天皇賞・秋=ヘヴンリーロマンスだ。ただ、ともに10番人気以下の“伏兵”の一発だった。

 ウオッカは常に“主役”としてGⅠを戦った。

 ダービーではまだ3番人気だったが、のちの菊花賞馬アサクサキングスに3馬身差の圧勝。古馬になってからのGⅠ勝ち5回も安田記念2回、天皇賞・秋、ヴィクトリアマイル、ジャパンCと全て東京(最初の安田記念が2番人気であとは1番人気)。このコースで無類の強さを発揮した。

 また、同期にいいライバルがいたのも競馬を盛り上げた。そう、ダイワスカーレットだ。

 初対戦のチューリップ賞ではウオッカが先着のワン・ツー。桜花賞では逆に。秋華賞はローズSを快勝したダイワが2冠達成(オークスは熱発で回避)。休み明けのウオッカは③着だった。そして有馬記念はダイワ②着、ウオッカ⑪着。

 最後の対戦となったのが20年の天皇賞・秋。1分57秒2のスーパーレコードで着差わずか2センチのワン・ツー。写真判定に13分ほど要した超激闘はウオッカに軍配。武豊が大きく両手でガッツポーズを見せた。

 翌21年のウオッカはドバイで⑤⑦着の後、ヴィクトリアマイル、安田記念とGⅠ連勝。だが秋の毎日王冠で②着、天皇賞で③着と敗れると、ジャパンCでは「掛かるイメージを持っていない騎手を」という理由でルメールに乗り替わり。またしても2センチ差で勝利した。

 武豊から外国人ジョッキーへのチェンジが示したものは、ひとつの時代の終わりか。実際、全国リーディングトップは143勝の20年が最後。翌年は内田に譲っている。

 そのウオッカは1日、イギリスで亡くなった。まだ15歳。平成が幕を閉じるのと時を同じくして、天に旅立った。
  (水、木曜掲載)

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