平成27年は実に7人ものジョッキーが年間100勝超えを果たした。
トップは前年に続いて130勝の戸崎、2位が121勝の福永。そして、この年からJRAのジョッキーとなったM・デムーロが118勝、ルメールが112勝で続いた。武豊、岩田康、川田までが大台を突破している。
海外から2人の転入が日本の競馬を大きく変えたことは言うまでもない。
“デム・ルメ”に短期免許取得者を加えた外国人ジョッキーの勝利数は大幅に増加した。転入前の2年は180勝台だったが、一気に382勝に。しかも、翌年以降はさらに増えて、28年が488勝、29年は486勝。昨年はモレイラの活躍もあって、何と543勝。1週間でおよそ10勝という計算になる。
この流れに乗り、勝ち鞍をどんどん量産しているのがノーザンファームだ。
それまでもディープインパクトを筆頭に、ブエナビスタやジェンティルドンナを世に送り出したが、生産馬の勝利数の推移をみると、初めて500勝の大台を突破したのがこの年。前年の466勝から547勝にまで増やしている。
賞金でも前年に初めて100億円を上回り、27年には124億円超。しかも、昨年まで伸び続けているのだから、完全な1強体制の確立といえよう。M・デムーロとルメールの移籍により、本格的な“ノーザン時代”が到来したのがこの年といえる。
その一方で、夏に個性的なジョッキーがムチを置いた。現在、本紙の土曜発行で「GIレース 勝負どころはココだ」を連載中の藤田伸二だ。
9月6日、札幌7Rでイキオイ(⑩着)の騎乗から引き揚げると、すぐにJRAの裁決委員に対して「騎手免許取消願」を提出。その後、現役の頃から執筆していた競馬雑誌のサイトでファンに向けてメッセージを放つという、前代未聞の引退劇だった。
デビューした平成3年にノーザンコンダクトで重賞初勝利(ラジオたんぱ杯3歳S)。翌年には17番人気タケノベルベットでエリザベス女王杯を制し、8年にはフサイチコンコルドで武豊より若い24歳でダービー勝ち。記録にも記憶にも残るジョッキーである。
(水、木曜掲載)