東西トレセンを駆け回るゲンダイの現場記者たちはそれぞれ担当厩舎を抱えている。長年、取材を続ける中、記録だけでなく記憶に残る名馬との出会いも。厩舎関係者とともに、その懐かしい足跡をたどってみる。第1回は美浦・木津記者の忘れられないあの馬――。
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競走馬がきっかけを掴んで、飛躍的に伸びていくケースはままある。
07年の帝王賞を制したボンネビルレコードがまさしくそんな馬だった。
実況で叫ばれたこんなフレーズが耳に残る。
「一日だけ大井に戻ってきたボンネビルレコード」
そう、ボンネビルはもともと大井でデビュー。中央に転厩して“きっかけ”を掴んで帝王賞のタイトルを奪取した、異色のGⅠホースだった。
美浦の堀井厩舎に入ったのは07年3月。
大井で重賞・金盃を勝ってからの移籍には、芝に挑戦してみたいというオーナーサイドの意向があったという。だが、中央入り初戦、初芝だったエイプリルSでは勝ち馬から1秒1離されたしんがり負け。
もくろみは外れたとはいえ、結果的には中途半端に好走するよりは良かったのだろう。芝に早々と見切りをつけて、ダートへ戻ったからだ。
中央入りで帝王賞を勝つ“きっかけ”を掴んだ
中央のメニューで鍛え込んで、体を増やしつつかしわ記念④着↓ブリリアントS③着と使って臨んだ帝王賞。
ここでもある“きっかけ”があったと担当だった藤盛調教助手が教えてくれた。
「オーナーの計らいで大井時代の主戦である的場(文)さんに頼もうってことになったんだ」
この采配が大金星を呼び寄せた。不利な外枠から1コーナー手前ではもうラチに張り付き、直線で狭いところを割って出て、断然人気のブルーコンコルドを封じてV。
間違いなく「大井の帝王」的場文の手腕によるところが大きかった。
その後、藤盛助手はGⅠ勝利と同じくらいうれしかったことがあったと振り返る。
「的場さんに“美浦に行ったから、ボンネビルレコードは強くなったんだよ”って。あんな凄い人に言ってもらえて本当にうれしかった」
その後もかしわ記念を勝つなどダート重賞戦線で息長く活躍。
“きっかけ”を見事に生かしてGⅠ馬となったボンネビルレコードは今、原点ともいえる大井競馬場で誘導馬として過ごしている。
(美浦・木津信之/日刊ゲンダイ)