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「上杉謙信 武田信玄」に関する記事

海道龍太朗氏

著者インタビュー

「室町耽美抄 花鏡」海道龍一朗氏

織田信長を相手に活躍する禁中御庭者を描く「乱世疾走」、武田信玄と上杉謙信の戦いを描く「天佑、我にあり」など著書多数。…

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日本史再見 英雄になれなかった男

死因は脳溢血 49歳で死んだ上杉謙信の無念

戦国時代、百戦百勝の武将といえば越後(現・新潟県)の上杉謙信――。他人のために戦ったことから、「義の人」とも呼ばれています。 謙信は享禄3(1530)年正月、越後守護代・長尾為景の末子として誕生(幼名は虎千代)しました。彼が7歳のとき、為景は隠居。跡を継いだのは、当時27歳の晴景でしたが、この人物は為政者の器量に欠けていました。 天文12(1543)年、晴景は14歳…

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戦国武将サバイバル術

【上杉謙信編】時代は変われど「健康第一」は働く者の鉄則

川中島の合戦では武田信玄と戦ったことで知られる上杉謙信。“越後の龍”という異名を持ち、また義侠の数々の逸話を持つ謙信ですが、本日は反面教師として学んで参ります。 越後守護代・長尾為景の次男として生まれ、幼少の頃は林泉寺に入り、修行をしていたとされます。しかし、父の死後、家督を継いだ兄に越後をまとめる才覚はなく、景虎(謙信)が15歳で初陣を飾り、その後も近辺の反乱を鎮…

武田信玄像

戦国武将サバイバル術

【武田信玄】ライバルだけを意識していると本来の目的を見失う

前回、上杉謙信をご紹介いたしましたが、その好敵手であったのが武田信玄。謙信は信玄の死を知らされたとき、持っていた箸をバッタと落とし「アァ、惜しい好敵手を失った」と言ったといいます。本日は、信玄からライバルとの付き合い方について学んでまいりましょう。 日刊ゲンダイの名物コラム、五木寛之氏の「流されゆく日々」でも書かれていましたが、作家の故・野坂昭如氏は、かつて五木氏と…

イラスト・小川純菜

失敗と成功の日本史

石坂浩二も共感? 信長に利用されただけで終わった足利義昭

彼は武田信玄や上杉謙信に、密かに「御内書」(将軍の私的書簡)を発し、「信長を倒せ」と命じます。 その結果、本願寺11世の顕如までもが、門徒を糾合、畿内の三好三人衆と手を組むありさま。こうして各地の一向一揆、武田信玄、毛利輝元などによる「信長包囲網」がつくられました。 ところが元亀4(1573)年4月、信玄が急死します。義昭は宇治の槇島で挙兵したものの、腹心の細川藤孝…

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