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「石田三成 豊臣秀吉」に関する記事

2016年大河ドラマは「真田丸」

7人の影武者いた? 人気歴史家が明かす“真田幸村生存説”

幸村、人質として大坂へ 1590年 小田原城攻めで初陣? 1594年 大谷吉継の娘と結婚 1600年 6月/徳川家康の上杉景勝討伐軍に加わる 7月/石田三成の密使が昌幸のもとに到着。昌幸、幸村は 西軍につくことを決め上田城に向かう。兄信幸は徳川軍に残る 9月/徳川秀忠軍、真田父子のこもる上田城を攻め敗北。 関ケ原の合戦では西軍が敗れる 12月/幸村・昌幸、紀州高野山…

NHK大河ドラマ「真田丸」の会見と三谷幸喜

大河「真田丸」脚本 三谷幸喜の双肩にかかるNHKの捲土重来

堺とともに「半沢直樹」ブームを牽引した片岡愛之助(43=会見欠席)は幸村の盟友である大谷吉継役、三谷ファミリーの一員で堀北真希を射止めた新婚ホヤホヤの山本耕史(38)が石田三成役。安定・安心・安全の手堅い布陣なのだ。 そして、「三谷脚本にはすべてが書いてある」(山本)、「三谷さんの脚本を信じる」(片桐且元役の小林隆)と脚本家への信頼を口々に語り、“三谷丸”の結束の強…

イラスト・佐々木桜

日本史再見 英雄になれなかった男

奇襲のチャンスをつぶし関ヶ原で惨敗した石田三成の不運

これによって同年9月15日、関ヶ原で家康の東軍と五奉行の石田三成が組織した西軍が衝突し、東軍が大勝利したことはご存知でしょう。 この戦いで着目したいのが“三成の不運”です。戦の終盤に、味方の小早川秀秋に裏切られただけではありません。 たとえば決戦の半年前の3月11日、家康が大坂の前田利家を見舞った折のこと。三成は同志の小西行長など4人に、「今夜のうちに、家康を討とう…

イラスト・若生圭汰

日本史再見 英雄になれなかった男

豊臣家を救えなかった前田利家

これに石田三成が異を唱えて、家康と対立。その結果、三成は謹慎処分を受けます。 利家の目には、家康の目論見が読めていました。秀吉子飼いの武将を反目させて、豊臣家を二つに割ろうというのです。利家は病に伏せていましたが、伏見の徳川屋敷を訪ね、家康と刺し違える覚悟をします。 「わしが内府(家康)に斬りかかれば、徳川の家来どもがわしを斬るだろう。それでいいのだ。わしが伏見で死…

イラスト・八木幸恵

嫉妬、憎悪…コンプレックスの日本史

秀吉の茶頭として出世しながら切腹に追い込まれた千利休

その利休に、最も敵対したのが“五奉行”の実力者・石田三成たちでした。三成と同じ近江(現・滋賀県)出身の前田玄以、長束正家など。彼ら“五奉行”は、利休への反感――古い側近政治に、憎悪の念を燃やしていました。 ■石田三成が狡猾な讒言 天正19年正月、その利休の保護者であった豊臣秀長(秀吉の実弟)が病死します。ここで利休の運命が一転。京・大徳寺の山門に置かれた利休の木像…

イラスト・宮西真由

嫉妬、憎悪…コンプレックスの日本史

加藤清正、福島正則らを老獪な戦略で操った徳川家康

家康が利用したのは福島正則、加藤清正、黒田長政らの石田三成への憎悪・嫉妬でした。 発端は文禄元(1592)年から始まった、朝鮮出兵にあります。 正則らは、朝鮮半島でひもじい思いをしながら戦っていましたが、一方の三成は国内で、秀吉の側近として仕え、朝鮮での戦の状況を報告する役目を担当していました。これが諸将の反感を招いたのです。 たとえば、清正。彼は同僚の小西行長を…

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