日刊ゲンダイDIGITAL

  • facebook  
  • twitter  
  • google+

小田実特集

None

流されゆく日々

連載10006回 六〇年代をふり返る

ベ平連が小田実を先頭に全国的な運動を展開する。ローリング・ストーンズの『サティスファクション』が時代のBG音楽だった。高倉健の『網走番外地』がブームを巻きおこす。当時、中間誌と呼ばれた『小説現代』『小説新潮』『オール読物』の3誌が、合計100万部以上の発行部数を示した時代だ。私も、野坂昭如も、その時代に仕事を始めている。 66年ごろには3Cブームというのがあった。カ…

None

流されゆく日々

連載9980回 言葉が死語になるとき

「競輪なんかでもそうですが、トップに立って風圧を受けたら損じゃないですか」 「損とか得とかの問題じゃないだろう」 「じゃあ、なんなんです」 「うーん」 「60年代のヒーローたちって、小田実にしても、大島渚にしても、群れの先頭に立つことに一種の自己陶酔感があったんじゃないですか」 「それはあったと思うけど」 「ぼくらには、それはないですから」 「だったら行動のモチー…

None

流されゆく日々

連載10037回 昭和ヒトケタ派の残影

大島渚、小田実、岩城宏之、白土三平、青島幸男、船村徹、江藤淳、石原慎太郎、藤田敏八、後藤明生など、すぐに頭に浮んでくるだけでも随分いる。稲盛和夫、横山ノックなども異色のヒトケタ派である。映画監督が多いのは、ヒトケタ派の特色かもしれない。 さらに昭和4、5年、8、9年あたりを考えてみると、無数の顔が浮かびあがってくる。そのあたりの世代が、このところ次々と世を去っていっ…

None

流されゆく日々

連載10033回 CMソングからの旅立ち

小田実の『何でも見てやろう』が、若者たちの心に火をつけたのも、60年代である。まだ一般民間人の海外渡航が許されていない時代だったが、1964年にそれが解禁になったのだ。 もともとロシア文学が専攻だったし、ロシアの作家に傾倒していたこともある。当時はまだソ連だったが、それでも見知らぬ国への憧れはあった。 敗戦後のいろんな事情から、私はソ連とロシア人に対して、二つの対立…

大久保真一社長

社長の本棚

【ダイオーズ】大久保真一社長

小田実の「何でも見てやろう」だ。 26歳のころ、妻と生まれたばかりの長男を日本に残し、アメリカに1年、続いてヨーロッパに1年滞在し、現地の流通サービス業で働き、学んだ。事業の手がかりを求めるためだった。 「1ドル360円の時代で、海外へ持ち出せるお金は500ドルが限度。いかにお金を使わずに目的を果たすかが大きな問題でしたが、小田さんの貧乏旅行記録、『何でも見てやろう…

None

流されゆく日々

連載9967回 永六輔の残したもの

大島渚も、小田実も、岩城宏之も、青島幸男も、みな私と同じ昭和7年の生まれだが、彼らのやった仕事について、きちんとした評価は、まだほとんどなされてはいない。 この国の特徴は、カルチュアの歴史を大切にしないことである。とくにテレビとか、ラジオとか、音楽などに関しては、ほとんど過去を忘れ去ってしまっている。美術館があれほど乱立しているのに、映画博物館、演劇博物館、音楽博…

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

最新のスポーツ記事