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「徳川家康 武田信玄」に関する記事

武田信玄像

戦国武将サバイバル術

【武田信玄】ライバルだけを意識していると本来の目的を見失う

信玄は三方ケ原で徳川家康を破ったものの、胸を患って53歳で死去。信玄が後継者の勝頼に「謙信とは戦うな。おまえの頼れる人物は謙信しかいない」と言った、その謙信も信玄死没の5年後、49歳でこの世を去ります。結果、天下は信長の手に。 片目で足の悪い山本勘助を軍師に取り立てるほどの見る目、力もあった信玄でございましたが、好敵手をもったばかりの悲劇ともいえるでしょう。“向上す…

家康は苦労人だった

戦国武将サバイバル術

【徳川家康編】発想の転換で待ちの家康のごとく後日に備えよ

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日本史再見 英雄になれなかった男

死因は脳溢血 49歳で死んだ上杉謙信の無念

もし謙信が長寿だったら、先に死亡した信玄の後継者・勝頼と同盟を組み、織田信長・徳川家康連合軍と一大決戦をすることも可能だったはずです。そうなれば謙信によって、室町幕府が再興され、戦国史が大きく変わった可能性がありますね。 ■敵に塩を送った話は美談ではなかった 上杉謙信は「我は毘沙門天の生まれ変わりなり」と語っていたとされる。毘沙門天だから、鉄砲の弾も自分を避けると考…

イラスト・若生圭汰

日本史再見 英雄になれなかった男

父・信玄を意識し過ぎて墓穴を掘った武田勝頼の顛末

その揚げ句、天正3年4月、織田信長と徳川家康の連合軍と激突します。 武田から徳川方へ寝返った奥平貞昌(のち信昌)の三河・長篠城(現・愛知県新城市)を包囲したのです。信長は3万8000人の大軍を派遣し、設楽原に馬防柵を設営。これを勝頼は、信長が武田の騎馬軍団を恐れている、と錯覚しました。 ■「長篠・設楽原の戦い」で大敗 「勝った」と心中で叫んだ彼は、周囲の者たちの作戦…

イラスト・八木幸恵

失敗と成功の日本史

お家騒動は時代を超えて…名家を潰した“浅井久政の大罪”

三河(現・愛知県東部)の松平元康(のちの徳川家康)と同盟を結び、東の守りを固めた織田信長は、さらに西にも同盟者を求め、浅井長政と手を結ぶことを画策。自らの妹・お市を嫁がせて、同盟成立に漕ぎつけました。 京と尾張(現・愛知県西部)・美濃(現・岐阜県南部)を結ぶルートを確保した信長は、越前(現・福井県北部)の朝倉義景を討とうとします。 ところが、長政が突然、信長に叛旗…

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