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「徳川家康 三河」に関する記事

週末に読みたいこの1冊

「家康、江戸を建てる」門井慶喜著

天正18年、豊臣秀吉は徳川家康に関東八カ国の提供を提案する。小田原征伐の功に報いるというのが表向きの口実だが、低湿地が広がる未開の地の関東と、家康の所領である駿河、遠江、三河、甲斐、信濃を交換するのが条件であり、家康の力を弱めるための策略だとして家臣たちは猛反対した。しかし家康は国替えの要求を受け入れることを決める。 本書は、江戸に都を築き上げるまでの家康の采配と、…

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山口組 6代目直系団体組長が激白「これは年寄りの一揆だ」

徳川家康は愛知・三河の出身だが、(名古屋の弘道会と)同じじゃないか、なんてブラックジョークも出ているぐらいだ」 ――それにしても、なぜ、このタイミングで分離したと思うのか。 「(神戸側が)追い詰められていたんだろう。向こうのメンバーを見る限り、多くが後期高齢者だ。今秋の人事で閑職に追いやられるなんて話もあったから、最後のチャンスだと思ったと思う。(組を取り仕切ってき…

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「変わり兜 ―戦国のCOOL DESIGN」橋本麻里著

冒頭に登場する徳川家康の三河以来の忠臣、本多忠勝所用の「鉄黒漆塗十二間筋鉢兜(鹿角脇立付)黒糸威胴丸具足」は強烈なインパクトを放つ。兜から生えたかのように隆々とした2本の角がうねりながら頭上に伸びているのだ。 その他、後ろに下がらないことから「勝虫」との異名を持つトンボを前立に、邪気をはらうとされた「馬藺(ばりん)(ねじあやめ)」の剣状の葉を後立に放射状に配した「…

イラスト・若生圭汰

日本史再見 英雄になれなかった男

父・信玄を意識し過ぎて墓穴を掘った武田勝頼の顛末

その揚げ句、天正3年4月、織田信長と徳川家康の連合軍と激突します。 武田から徳川方へ寝返った奥平貞昌(のち信昌)の三河・長篠城(現・愛知県新城市)を包囲したのです。信長は3万8000人の大軍を派遣し、設楽原に馬防柵を設営。これを勝頼は、信長が武田の騎馬軍団を恐れている、と錯覚しました。 ■「長篠・設楽原の戦い」で大敗 「勝った」と心中で叫んだ彼は、周囲の者たちの作戦…

イラスト・八木幸恵

失敗と成功の日本史

お家騒動は時代を超えて…名家を潰した“浅井久政の大罪”

三河(現・愛知県東部)の松平元康(のちの徳川家康)と同盟を結び、東の守りを固めた織田信長は、さらに西にも同盟者を求め、浅井長政と手を結ぶことを画策。自らの妹・お市を嫁がせて、同盟成立に漕ぎつけました。 京と尾張(現・愛知県西部)・美濃(現・岐阜県南部)を結ぶルートを確保した信長は、越前(現・福井県北部)の朝倉義景を討とうとします。 ところが、長政が突然、信長に叛旗…

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