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「徳川家康 豊臣秀吉」に関する記事

これから出番が増える/(C)日刊ゲンダイ

「官兵衛」で家康役 寺尾聰の“右目”なぜ閉じているのか?

役作りのために剃髪した岡田准一(33)の体当たり演技や、狂気の秀吉を好演する竹中直人(58)など、見どころは盛りだくさんだが、この先の話の中心人物となっていくのが徳川家康を演じる寺尾聰(67)だ。 次回「秀吉の最期」(11月9日放送)の予告でも、家康=寺尾の顔が大映しされたが、その寺尾について、ドラマ登場の当初からこんな疑問の声が上がっていた。 「寺尾聰の右目は、な…

「超現代語訳 戦国時代」房野史典著

豊臣秀吉が徳川家康を自分の配下におこうとしていた頃、真田家の長男、信幸は徳川の家臣、本多忠勝の娘を、次男の信繁は豊臣の家臣、大谷吉継の娘を妻とした。関ケ原の戦いのとき、父・昌幸と信繁は豊臣に、信幸は徳川方について戦った。信幸は秀忠の使者として降参するよう説得すると、昌幸は家臣を説得する時間がほしいと言う。ところが、何日も待たせた揚げ句、昌幸がよこした手紙にはこう書か…

週末に読みたいこの1冊

「家康、江戸を建てる」門井慶喜著

天正18年、豊臣秀吉は徳川家康に関東八カ国の提供を提案する。小田原征伐の功に報いるというのが表向きの口実だが、低湿地が広がる未開の地の関東と、家康の所領である駿河、遠江、三河、甲斐、信濃を交換するのが条件であり、家康の力を弱めるための策略だとして家臣たちは猛反対した。しかし家康は国替えの要求を受け入れることを決める。 本書は、江戸に都を築き上げるまでの家康の采配と、…

イラスト・中村深琴

嫉妬、憎悪…コンプレックスの日本史

豊臣秀吉は農民の劣等感から名家の娘に手を出した

この秀吉と趣が異なるのが徳川家康でした。彼は“二妻十五妾”を持ったといわれますが、その多くは後家、つまり未亡人でした。出自のはっきりした女性を選んだものの、名門に固執はしませんでした。家康はただ、出産経験のある丈夫で健康な女性を求めたのです。その努力が実って多くの子宝に恵まれ、徳川幕府は長らく存続したのでした。 豊臣秀吉を描いたドラマは身分の低さを乗り越えて天下人…

イラスト・宮西真由

嫉妬、憎悪…コンプレックスの日本史

加藤清正、福島正則らを老獪な戦略で操った徳川家康

この戦を語る上で無視できないのが、徳川家康の老獪さです。豊臣秀吉の子飼いの武将たちを籠絡し、自分の部下のように働かせたのですから。 家康が利用したのは福島正則、加藤清正、黒田長政らの石田三成への憎悪・嫉妬でした。 発端は文禄元(1592)年から始まった、朝鮮出兵にあります。 正則らは、朝鮮半島でひもじい思いをしながら戦っていましたが、一方の三成は国内で、秀吉の側近…

イラスト・若生圭汰

日本史再見 英雄になれなかった男

豊臣家を救えなかった前田利家

徳川家康を刺し殺さず 時代は下がって慶長3(1598)年、秀吉が死没すると、豊臣政権の体制が揺らぎ始めます。利家と同格の大老となった徳川家康が、法度を破り、伊達政宗や福島正則らと勝手に婚姻を結んだのです。これに石田三成が異を唱えて、家康と対立。その結果、三成は謹慎処分を受けます。 利家の目には、家康の目論見が読めていました。秀吉子飼いの武将を反目させて、豊臣家を…

イラスト・齋藤礼実

日本史再見 英雄になれなかった男

伊達政宗 スペイン国王と組んで謀叛を企てていた

政宗は秀吉に臣従し、関ケ原の戦い(1600年)では徳川家康の側につきました。天下取りの野望をすっかり忘れたかのようですが、実は闘志満々。徳川幕府に叛旗を翻そうとしたのです。 それを語る前に、政宗を取り巻く人物を2人紹介しましょう。一人は家康の重臣で石見(現・島根県西部)や佐渡などの鉱山開発に尽力した大久保長安。徳川家に利益をもたらしました。 ところが慶長18(16…

イラスト・大場春奈

日本史再見 英雄になれなかった男

豊臣秀頼は母親の溺愛で滅び去った

慶長16(1611)年3月、京都・二条城で行われた徳川家康との会見では、始終、義理の祖父(妻が千姫のため)である家康を立てる申し分ない作法で接し、家康を唸らせました。一般にイメージされているような、マザコンの凡庸な人物ではなかったのです。 その秀頼の運命を、急変させたのが方広寺の梵鐘――鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の文字でした。徳川家康がこれに難癖をつけ、…

失敗と成功の日本史

ショーンK? 他人の性を名乗り存続した北条氏の“経歴詐称”

徳川家康は、幼名の竹千代が元服して元康-家康に。豊臣秀吉は木下姓から羽柴姓となり、最後は豊臣となりました。しかし、こうした改名は、公に行われたもの。 ■初代の早雲は「伊勢氏」 ここで思い出すのが、北条早雲です。伊豆、相模(現・神奈川県の大半)を攻略し、戦国時代の火蓋を切ったことで有名な人物ですが、彼は「北条」姓でありません。室町幕府政所執事・伊勢氏の一族で、実名は伊…

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橋本テツヤの快適老齢術

なったつもりで元気を取り戻す

「尊敬する歴史上の人物は?」と問われたら徳川家康か豊臣秀吉あたりを答えるかもしれないが、そうでない場合は自分を尊敬していると言う。驕り高ぶっているわけではない。自分が一番好きで、自分の存在価値をそれなりに認めているからだ。 人は誰でも自分が好きなはずだが、年齢を重ねてくると、体の不調から今までできたことができなくなってくる。そうなると自分がイヤになり、悪い方向ばかり…

イラスト・佐々木桜

日本史再見 英雄になれなかった男

奇襲のチャンスをつぶし関ヶ原で惨敗した石田三成の不運

慶長5(1600)年、豊臣政権五大老の一人・徳川家康が、上杉景勝の討伐を口実に出陣。これによって同年9月15日、関ヶ原で家康の東軍と五奉行の石田三成が組織した西軍が衝突し、東軍が大勝利したことはご存知でしょう。 この戦いで着目したいのが“三成の不運”です。戦の終盤に、味方の小早川秀秋に裏切られただけではありません。 たとえば決戦の半年前の3月11日、家康が大坂の前…

イラスト・八木幸恵

嫉妬、憎悪…コンプレックスの日本史

秀吉の茶頭として出世しながら切腹に追い込まれた千利休

利休が所有していた名物茶器を秀吉が所望し、これを利休が拒否したからという話もあれば、徳川家康のスパイだったという話も。生前の利休が最後に茶会を開いた相手は家康だった。その関係で、利休が秀吉を暗殺しようとしたというのだ。 ドラマチックなのは秀吉が利休の娘を側女に欲しがり、利休がこれを断ったという説。この話を題材にしたのが今東光の小説「お吟さま」だ。1978年に熊井啓…

イラスト・森琴野

失敗と成功の日本史

ライトアップ再開 いまも語り継がれる「熊本城の知恵」

秀頼が徳川家康と面会した際に、“護衛役”として同席したことは有名です。清正は万一、家康が大坂城の秀頼を攻めた場合、秀頼を熊本に迎え、この地を本拠に徳川と戦おうと覚悟していた。“将軍の間”にはそんな意味もあるといいます。 清正は熊本城に、いくつもの工夫をこらしています。そのひとつが、城内に銀杏の木を植えたこと。実がなって一面が匂うようになると、落ちた銀杏を家臣に集めさ…

左から、田中角栄、二階堂進、竹下登

元秘書が語る 素顔の田中角栄

「生意気を言うな」車中に怒声が響いた

織田信長、徳川家康、豊臣秀吉の関係と似たようなものだ。 沈黙の車中は1分1秒が長かった。ようやく目白の自宅に着き、オヤジさんが車を降りた。その時、助手席で緊張している僕にこう言葉をかけた。 「さっきの話だがな、ちゃんと分かっている」 ぶっきら棒というか、あまり感情を感じない平板な調子だったように記憶している。この言葉に僕は救われたが、今でも僭越な発言をしたことを後悔…

イラスト・児玉泉

失敗と成功の日本史

乙武さんは不倫旅行で断念 出鼻をくじかれた信長と家康

信長は徳川家康や松永久秀らとの連合軍で、越前の敦賀に侵入。朝倉方の手筒山城を難なく落とし、さらに金ケ崎城を陥落させ、破竹の進撃を続けました。 ところがここで、織田氏と同盟関係にあった浅井長政が、ピンチの朝倉氏に呼応し、織田連合軍の退路を断つ動きに出ます。朝倉と浅井が、古くからの同盟関係にあったからでした。しかし長政の妻は、信長の妹のお市。信長は義弟に裏切られたこと…

今年は時代劇への出演が続く

ドラマ彩る 大河「真田丸」の女たち

竹内結子演じる茶々 他人蹴落とした天下人最愛のセレブマダム

そこで徳川家康(内野聖陽)が狙いをつけた豊臣のウイークポイントが茶々だった。家康は城の外から夜な夜な自軍に大声をあげさせ、大砲を撃ち込んだ。6歳の時、城攻めで父を亡くした茶々のトラウマは根深い。結局、茶々と秀頼は和睦を受け入れ、大事な濠も埋められ、真田丸も取り壊されて、豊臣家滅亡へまっしぐら……。 茶々は、自軍の士気を高めるため、大将である秀頼さま出陣を、と要請され…

2016年大河ドラマは「真田丸」

7人の影武者いた? 人気歴史家が明かす“真田幸村生存説”

幸村、人質として大坂へ 1590年 小田原城攻めで初陣? 1594年 大谷吉継の娘と結婚 1600年 6月/徳川家康の上杉景勝討伐軍に加わる 7月/石田三成の密使が昌幸のもとに到着。昌幸、幸村は 西軍につくことを決め上田城に向かう。兄信幸は徳川軍に残る 9月/徳川秀忠軍、真田父子のこもる上田城を攻め敗北。 関ケ原の合戦では西軍が敗れる 12月/幸村・昌幸、紀州高野山…

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