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山口瞳特集

北上次郎のこれが面白極上本だ!

「Y先生と競馬」坪松博之著

Y先生とはもちろん山口瞳のことで、著者は「サントリークォータリー」の編集を担当した縁で(つまり山口瞳の後輩だ)、山口瞳と知り合い、競馬場に同行するようになる。その日々を回顧する書なので、男性自身シリーズや「草競馬流浪記」などから、競馬に関する山口瞳の名言が次々に引用されているのが興味深い。 その一番は「旦那はギャンブルで儲けてはいけない。少し損するくらいがいい。ギャ…

映画「マルタイの女」舞台挨拶にて。エッセーの名手としても知られた

没後20年で脚光 “異能の映画人”伊丹十三が持つ7つの顔

この時、作家の山口瞳と知り合ったことが、名エッセイスト誕生のきっかけとなる。 ●俳優 26歳で「伊丹一三」として俳優デビュー。その後、ニコラス・レイ監督「北京の55日」や、リチャード・ブルックス監督「ロード・ジム」など海外の大作に出演。帰国後も独特の存在感を放つ。特に50歳で出演した「家族ゲーム」での“目玉焼きチュウチュウ”は今も語り草になっている。 ●エッセイスト…

映画「マルタイの女」舞台挨拶にて。エッセーの名手としても知られた

没後20年で脚光 “異能の映画人”伊丹十三が持つ7つの顔

この時、作家の山口瞳と知り合ったことが、名エッセイスト誕生のきっかけとなる。 ●俳優 26歳で「伊丹一三」として俳優デビュー。その後、ニコラス・レイ監督「北京の55日」や、リチャード・ブルックス監督「ロード・ジム」など海外の大作に出演。帰国後も独特の存在感を放つ。特に50歳で出演した「家族ゲーム」での“目玉焼きチュウチュウ”は今も語り草になっている。 ●エッセイスト…

湯豆腐600円、あげそば650円、清酒500円

山口瞳が愛した店

そば芳(国立)

山口瞳が愛した「そば芳」はその一画にある。 「店をオープンした昭和53年当時は国立の最先端の商店街だったんですよ。今はもう古い通りになっちゃったけど。しょうがないですよね、開店当時20代だった私が66歳になるんだから」 大柄な体にはやや窮屈そうに見える狭いカウンターの中で、骨太の職人然とした店主の杉田芳雄さんが、見た目とは異なる愛想のいい笑みを浮かべながらそう教えて…

秀寿司の店主大塚良雄さんら

山口瞳が愛した店

秀寿司(浦安)コハダ、アオヤギをツマミに燗酒を

作家・山口瞳は1979年に2度浦安を訪れている。1度目は春。全集に入れる山本周五郎の本の装画を頼まれ、そのスケッチ旅行で浦安に5泊した。2度目は夏真っ盛りの8月。「別冊小説新潮」に連載していた「酔いどれ紀行」のスケッチ旅行で浦安を訪れ、10泊している。このとき山口瞳が泊まったのが東西線浦安駅から徒歩3分の距離にある浦安温泉旅館(現・ホテル醍醐)であり、同旅館の社長に…

秀寿司の店主大塚良雄さんら

山口瞳が愛した店

秀寿司(浦安)コハダ、アオヤギをツマミに燗酒を

作家・山口瞳は1979年に2度浦安を訪れている。1度目は春。全集に入れる山本周五郎の本の装画を頼まれ、そのスケッチ旅行で浦安に5泊した。2度目は夏真っ盛りの8月。「別冊小説新潮」に連載していた「酔いどれ紀行」のスケッチ旅行で浦安を訪れ、10泊している。このとき山口瞳が泊まったのが東西線浦安駅から徒歩3分の距離にある浦安温泉旅館(現・ホテル醍醐)であり、同旅館の社長に…

鰻重(月丁)4890円=左と静岡中央銀行の店舗を改装した吉田町店の山口瞳由来の「瞳ルーム」

山口瞳が愛した店

割烹蒲焼八十八(関内)

「樅ノ木は残った」などで知られる作家・山本周五郎が通い、山本周五郎を尊敬してやまない山口瞳が何かにつけて足を運んだのは今はなき関内本店2階の座敷「月の間」である。山口瞳が「行きつけの店」の取材で訪れたのも関内本店だ。この本の中で山口瞳は意外な告白をしている。 「私が鰻が好きかというと、必ずしもそうではない。むしろ鰻は苦手といったほうがいい。私は脂に弱い」 鰻が苦手な…

松は4000円

山口瞳が愛した店

うなぎ押田(国立)

山口瞳が東京・国立市に引っ越したのは1964年のこと。自ら“変奇館”と名づけた一風変わった家が、ついのすみかになった。山口作品には地元・国立の行きつけの名店がたびたび登場する。駅前の繁寿司やロージナ茶房、「居酒屋兆治」のモデルになった谷保天神近くのモツ焼き屋「文蔵」などなど。その中で変奇館から最も近くにあった行きつけの店が「うなぎ押田」だ。「押田は、僕の家の前で転ぶ…

店主の中川観子さんと、中川さんが作るマテニー

山口瞳が愛した店

祇園サンボア(京都市祇園)特訓で習得したマテニー

現在「サンボア」の看板を掲げている店は大阪、京都、そして東京(銀座、数寄屋橋、浅草)に全部で14店あるが、山口瞳との縁が最も深いのが祇園サンボアだ。著書「行きつけの店」でも「祇園サンボアのマテニー」という題で紹介している。店主の中川歓子さんが作るマテニー(=マティーニ)は、祇園サンボアの代名詞ともいえるカクテルだが、その誕生に山口瞳が深く関わっている。 歓子さんのご…

甘さを控えたキリッとした江戸前の味付け

山口瞳が愛した店

明神下 神田川本店(外神田)

何が何でもそれを聴きたい一念でこの会を企画・主催したのが当時44歳だった山口瞳である。 「お客さまが落語の師匠方を呼んで一席やってもらうことは以前はたまにありましたけど、最近はそんな遊びをされるお客さまはいないですね」(11代目・神田茂氏) 当日は無我夢中で「あまりよく覚えていない」としながらも、よほど胸を打つものがあったのだろう、山口瞳は「男性自身」その他のエッ…

維新號

山口瞳が愛した店

維新號(銀座)

山口瞳夫妻が銀座維新號を最後に訪れたのは1995年6月27日のこと。2月に人間ドックで胸に影があるのが見つかり、検査のために入院した慶応病院で悪性の腫瘍だと告知されたのが5月17日。2、3年経過観察することになって5月31日に退院。6月27日はまず慶応病院で胸部のレントゲンを撮ったり採血などしたあと、日本橋の丸善でステッキの調整を頼み、向かいの高島屋でクロスのフェル…

元宮城県知事の浅野史郎さん

プロの本棚

浅野史郎さん 山本周五郎の「ながい坂」が人生を後押し

それが思い出の本で、中でもお気に入りが山口瞳だという。 「中学から高校に上がるころ、コピーライターだった山口瞳が『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞を受賞。その後、『週刊新潮』で連載した『男性自身』シリーズがよかった。山口瞳はとにかく随筆がいい。才能に惚れた向田邦子とのことや、直木賞選考の裏話が目に浮かぶように描かれていて、興味津々。文庫本が出るたびにすぐ本屋で買って…

レトロ感あふれる外観、山口瞳とオーナー接さんの「応接室」(右)

山口瞳が愛した店

ロジーナ茶房(国立)

64年に国立に引っ越し、住み続けた山口瞳が足しげく通った喫茶店で、晩年の著書「行きつけの店」でも紹介されている。 〈私は、たいていは、日替りのストレート・コーヒーを飲む。ブレンド・コーヒーは四百五十円である。ストレートも同じ四百五十円である。ということはキリマンジャロもブルーマウンテンも四百五十円であるということだ。〉〈スパゲッティがうまい。カレーライスも独特の風味…

煮込みと串焼き(写真上)と屋台時代の木製メニュー

山口瞳が愛した店

放浪の詩人もお気に入り 国立「まっちゃん」の串焼きと煮込み

64年3月、草野心平がよそへ引っ越すのと相前後して国立に引っ越してきた山口瞳は最初の頃、草野心平に倣ってこの3店にばかり飲みに行っていた。64年の某月某日、草野心平と山口瞳が揃って「まっちゃん」へ行ったことがあった。店で軽く飲んだ後、2人は同じ建物裏側の住居部分へも顔を出して店主の家族に挨拶した。草野心平から山口瞳へ、お気に入りの店の“引き継ぎ式”だったのかもしれ…

「そば処 銀座 よし田」のもりそば、玉子焼き、板わさ、にしん棒煮、日本酒

山口瞳が愛した店

そば所 銀座 よし田(銀座) 中学時代のタイムスリップできる場所

山口瞳は私立の名門・麻布中学校1944年度卒の第49期生。同期会の幹事なども務めており、49期生とのつき合いは最晩年まで続いた。幹事会の場所は1885年創業の銀座の「よし田」の2階座敷と決まっていた。 「よし田」は昨年2月から銀座6丁目で営業しているが、山口瞳らが集まっていた頃は銀座7丁目にあった。中央通りと並行する金春通り沿いだ。 1955年ごろに建った4階建ての…

川口松太郎や里見弴らの直筆の言葉を染め抜いた暖簾(3代目の幸造さん)、1人前4200円(写真は2人前)

山口瞳が愛した店

はち巻岡田(銀座) 冬の定番鮟鱇鍋

著書「行きつけの店」の中で山口瞳は全23店を紹介しているが、全国の老舗名店の中でいの一番に紹介しているのが「はち巻岡田」だ。〈鉢巻岡田(後述)の鰹の中落ちを食べなければ(私にとっての)夏が来ない〉〈鉢巻岡田の鮟鱇鍋を食べなくちゃ、冬が来ない〉と書いている。〈鉢巻岡田も、まさに私にとっての学校であって、いろいろなことを教えられた〉とも。30年間にわたって週刊新潮に連載…

山口瞳が「色の白い中天の満月のような美人」と評した7代目女将。「亀清楼」の文字は平山郁夫画伯

亀清楼(浅草橋駅) 時季になると訪れて頼んだ「鮎の煮浸し」

山口瞳は著書「行きつけの店」の中で〈風情は無くなったが、そのかわり、私なんかが気軽にフラッと飲みに行かれる店になった。〉と書いている。お気に入りだったのは建物2階の南東の角に位置する「清江亭」という12畳の座敷。障子を開けると東側は眼下に隅田川、川向こうに首都高と両国の街並みが見渡せる。南側には両国橋を見ることができる。 「お召し上がりものについては『何かさっぱりし…

「おもろ」の2代目店主・南風原英樹さん(ミミガーと“おもろ煮”)

山口瞳が愛した店

おもろ(西池袋) 開店当初から常連になった酒呑みの原点

山口瞳が文京区高田豊川(現・目白台1~2丁目)にあった小さな出版社「国土社」に就職し、哲学雑誌「国土」の編集者になったのは1946年9月、19歳のときのこと。49年5月、22歳で鎌倉アカデミアの同級生・古谷治子と結婚、会社の近くに6畳1間のアパートを借りて新婚生活をスタートする。この頃、20歳前後の若い山口が足しげく通っていたのが池袋駅西口前の沖縄料理店「おもろ」だ…

昭和の文化遺産といった趣、タンゴが流れる暗めの店内(左)

山口瞳が愛した店

ミロンガ・ヌォーバ(神田神保町)

〉――週刊新潮に連載していた「男性自身」の中で山口瞳はこう書いている。神田小川町に本社を構えていた河出書房で雑誌「知性」の編集をしていた30歳ごろ(1954~57年)のことだ。 戦前は銀座にあった出版社「昭森社」が神田神保町1-3に引っ越したのは1945年。建物の2階を事務所に使い、1階に喫茶店兼酒場を開いた。それが「ランボオ」(ランボーではなく正しくはランボオ)だ…

左の額は山口瞳が書いた「織部饅頭」を白抜きにした染め物(写真・左)

山口瞳が愛した店

大坂家(三田) 冠婚葬祭の必需品だった秋色最中

山口瞳がこの店をひいきにしていたのは17代目の頃。当時の店は木造2階建てで、1階の店舗の壁沿いにL字形の長椅子があり、そこで菓子を食べお茶を飲むことができた。 「あの先生は目立つのが嫌いなのか、うちにきてもいつも一番隅っこが指定席でした。注文はみんな奥さん任せで」(18代目・倉本勝敏さん) 山口家の冠婚葬祭、新年や盆暮れの挨拶回りに大坂家の和菓子、とりわけ最中は欠か…

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