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全日本プロレスの関連ニュース

「全日本プロレス超人伝説」門馬忠雄著

全日本プロレスの歴史を彩ってきた人気プロレスラーたちの評伝。 全日本プロレスは1972年に旗揚げ。設立者のジャイアント馬場の米国武者修行時代の逸話をはじめ、彼を不動のプロレスラーに押し上げた32文ロケット砲完成秘話、日本武道館での「鉄の爪」エリックとのインター決戦など名試合の模様まで、記者として間近に接したその素顔も紹介しながら、そのプロレスラー人生をたどる。 ジャ…

全日本プロレス期待の若手

役者・芸人「貧乏物語」

プロレスラー中島洋平 メキシコ修業時代はギャラ“200円”

全日本プロレス期待の若手レスラーは、メキシコでの修業時代、レスラーならではの貧しい生活を繰り返して……。 2004年、「闘龍門」という団体に入門したら、3カ月後に団体が分裂してクビになって。地元の函館に戻ってバイト生活をしてから再び上京、他の団体の練習生になりました。20歳の時、メキシコに渡り、単身で修業を始めてからがスゴい貧乏。金はないし、メキシコ生活には慣れない…

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「つば吐き」で親しまれた 元プロレスラー永源遙さん急死

複数の団体を経て、87年に全日本プロレスに入り、渕正信らとのタッグチーム「悪役商会」で人気を集めた。特に水平チョップを受けた際に客席に向かってツバを吐くパフォーマンスが前座の名物だった。 06年に現役引退後は、ノアの取締役など要職を歴任した。ノアはきょう会見を行う。…

小橋健太さん

私の秘蔵写真

元プロレスラー小橋健太さん 武道館で撮った引退記念試合

1987年6月の全日本プロレス入門から26年の月日が経っていた。 日本武道館(東京)に超満員となる1万7000人を動員。腰にはGHCヘビー級のベルトを巻いて入場し、武藤敬司、佐々木健介らと組んで、GHC王者(当時)であるKENTAらと対戦、勝利を収めている。 「90年代、全日本プロレス“四天王”として共に過ごしてきた田上明さんと川田利明さんが駆けつけてくれました。…

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喜怒哀楽のサラリーマン時代

髙山善廣さん新セクション立ち上げたフジサンケイグループに歩兵として入社

以降、全日本プロレス、プロレスリング・ノア、新日本プロレス、PRIDEなどで熱闘を繰り広げた髙山善廣さんは「プロレス界の帝王」として知られる。196センチの身長に鍛え上げられた肉体、金髪に強面のルックスだが、かつてはフジサンケイグループで営業マンとして働いていた。 プロレスの世界に飛び込んだのは東海大学在学中です。休学をしてUWFに入りました。ところが、高校時代にや…

髙山善廣さんは俳優としても活躍

愉快な“病人”たち

「言葉が出ない…」 髙山善廣さんが脳梗塞体験を語る

「キングダム」「全日本プロレス」を経て、2001年にフリーとなってさまざまな団体のマットに上がり、2009年には日本のメジャー団体のヘビー級シングル王座、タッグ王座をすべて手に入れる。近年は俳優としても活躍の場を広げている。…

愉快な“病人”たち

元プロレスラー 小橋建太さん (47)

87年に全日本プロレスに入団、ジャイアント馬場に師事し、三冠ヘビー級王座、世界タッグ王座などを獲得。数々のけがや病を乗り越えリングに立つ姿から鉄人と呼ばれる。引退後は、肝腎疾患やがんの啓蒙活動にも尽力。6月8日に自身がプロデュースするプロレス興行「Fortune Dream1」を開催予定。…

本田圭佑の父親といとこ/(C)日刊ゲンダイ

あの人は今こうしている

本田圭佑とは親戚…レスリングで活躍した本田多聞さんは今

29歳と年齢的にはいってましたが、93年、ジャイアント馬場さんの全日本プロレスのお世話になることにしました」 若手と一緒に合宿所での生活だった。 「ただ、待遇面では他の選手より良かったみたいです。馬場さんの付け人をやり、食費はほとんど面倒見ていただきました、ハハハ」 2000年にプロレスリング・ノアに移籍。09年、フリーになった。 「今は東京の稲城市と川崎市に『本田…

/(C)日刊ゲンダイ

あの人は今こうしている

「電流マッチ」ターザン後藤 下町スナック「FMW」で活動中

さて、81年、全日本プロレスでデビューした後藤さんは83年、プロレス大賞新人賞を受賞するなど将来を嘱望され、85年、アメリカへ武者修行に。 「当時、アメリカは景気が悪く、なかなか試合が組めない。で、ジャパニーズレストランで皿洗い、ステーキハウスでシェフをしてチャンスを待った。日本のプロレス雑誌にはターザン後藤はプロレスから足を洗い、皿洗いをしてる、みたいな記事が出…

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