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伊達政宗に関する記事

文庫あらかると

「『戦国大名』失敗の研究【群雄割拠篇】」瀧澤中著

まずは軍事指導者としては一流で、信長にも匹敵する国際・外交感覚を備え、国内政治では家康的な絶妙のバランス感覚を持っていたという伊達政宗。政治学的には極めて優れた政治家だった彼が、なぜ天下を治めえなかったのか。俗に挙げられる「生まれてくるのが遅すぎた」や「中央からの距離」などの理由を検証・否定し、その行動を読み解きながら、彼が天下を取れなかった本当の要因は何かを考察…

出版HOT NEWS

「千利休切腹」の原因は豊臣秀吉との身長格差だった?

他にも、低身長症だった山本勘助や徳川綱吉、実は両目の眼球が保たれていた独眼竜・伊達政宗、肥満体で高血圧の疑いが濃厚な上杉謙信など、偉人たちの実像を明らかにしていく。…

相撲業界は封建社会…(中央は北の湖理事長)

ひねくれスポーツ論

行司に進退伺を出させるのは酷じゃないのか?

な~んだこの後ろ向きな因習は! 小田原攻めに遅参した伊達政宗が太閤秀吉の前に死に装束でそっ首を差し出した故事そのまま。 「ういやつよ政宗、覚悟やあっぱれ、許してつかわす」 「ははああああ!」 とひれ伏して首が繋がる。 「進退伺」について書きたい! と言ったら本紙の担当記者氏がいろいろと過去の事例を調べてくれた。女子柔道でパワハラが発覚した園田隆二は辞表の前に、次へ繋…

イラスト・齋藤礼実

日本史再見 英雄になれなかった男

伊達政宗 スペイン国王と組んで謀叛を企てていた

「遅れてきた戦国武将」といえば、やはり伊達政宗でしょう。天下を取れたかもしれないほどの実力者なのに、奥州制覇まであと一歩のところで、豊臣秀吉が天下人となってしまいました。 彼は秀吉から、「上洛せよ」と命令されながら、再三にわたって無視。天正18(1590)年の北条攻めの際に、白装束で秀吉に拝謁し、「もう少し遅かったら首が飛んでいたぞ」と言われた逸話は有名です。 政宗…

若い頃から自己アピール能力があった

戦国武将サバイバル術

【伊達政宗編】時に身を助ける自己アピール基本は挨拶

しゃれた身なりやおしゃれな男性を指す“伊達者”の言葉の由来となったのが伊達政宗。顔が見えなくても豪華絢爛な陣羽織で「あれは政宗だ」と分かったといいます。本日は、そんな洒落者の自己アピール力に学んで参ります。 政宗の初陣は家督相続の3年前、15歳のときのこと。敵は、相馬・畠山・大内の連合軍。政宗は父・輝宗に申します。 「手始めに、1万5000の兵を出陣させようと思いま…

7年ぶり(国宝の本堂)

おでかけ出張コンシェルジュ

「平成の大修理」終えた松島・瑞巌寺に伝わる独眼竜の情熱

伊達政宗が5年の歳月をかけて完成させた大伽藍は、多くの観光客を迎え入れている――。 JR仙台駅から仙石線の電車に揺られ40分。ホームから海を望める松島海岸駅は、まるで展望台のような見晴らしの良さだ。降り立った旅行者の気分を大いに盛り上げてくれる。 改札を出て、食堂や土産物屋を冷やかしながらゆるゆると歩く。潮風に押されるように国道を山側に折れ、案内看板を目印に瑞巌寺(…

イラスト・林蓮珠

日本史再見 英雄になれなかった男

主君・長政から嫌がらせ 大阪夏の陣に散った後藤又兵衛の悲劇

この激突で又兵衛は、「源平以来」といわれる賛辞とともに、伊達政宗の先手・片倉小十郎重長の軍勢に鉄砲で撃たれて討ち死にしました。一方、政宗は後日、家康よりその武功を賞されています。 この夏の陣では、軍師ナンバーワンの信繁も戦死しますが、戦の敗因は秀頼の近臣たちにありました。彼らが自分たちの実戦経験の乏しさを棚に上げて信繁の積極策を危ぶみ、大坂城外での戦いを敬遠したた…

イラスト・若生圭汰

日本史再見 英雄になれなかった男

豊臣家を救えなかった前田利家

利家と同格の大老となった徳川家康が、法度を破り、伊達政宗や福島正則らと勝手に婚姻を結んだのです。これに石田三成が異を唱えて、家康と対立。その結果、三成は謹慎処分を受けます。 利家の目には、家康の目論見が読めていました。秀吉子飼いの武将を反目させて、豊臣家を二つに割ろうというのです。利家は病に伏せていましたが、伏見の徳川屋敷を訪ね、家康と刺し違える覚悟をします。 「わ…

30歳のときに病気が発覚

渡辺謙「57歳の肖像」

「伊達正宗・病気」のイメージ崩すため全部やめた

思い通りにできないもどかしさを抱えていました」 周囲は「独眼竜政宗」で演じた伊達政宗のイメージであり、病気のイメージで凝り固まっていた。一体どう脱却していったのか。 「それまでやってきた仕事を全部やめた。TVでいくつかシリーズがあって、『もっと続けていいよ、いつでも待ってるよ』と言っていただいてもいたのですが、すべてにごめんなさいをして、全く違うことを始めた。若手監…

イラスト・宮西真由

嫉妬、憎悪…コンプレックスの日本史

加藤清正、福島正則らを老獪な戦略で操った徳川家康

家康は正則のほか、蜂須賀家政や伊達政宗などと、勝手に姻戚を結んでネットワークを築きます。 そこに清正ら7人が三成を襲撃する事件が起きました。このとき三成は家康の仲介によって一命を取り留めたのです。実はこの襲撃事件で、三成が家康の屋敷に逃げ込んだという事実はないのですが、家康は三成を助ける一方で、「このような騒動が起きたのは、貴殿にも責任があろう」と三成を領地の佐和…

次はコミッショナー?/(C)日刊ゲンダイ

ひねくれスポーツ論

楽天監督を辞任 これが「男星野」一世一代の大勝負ってか?

東北に下って攻め滅ぼされた源義経じゃあるまいし、中央へ駆け上るのが遅れた伊達政宗じゃあるまいし、男星野の引き際は、グッと見え切る花道の、一世一代大勝負。なんもかも込みでどやどやどや!” 「込み」の正式な名称、込みッショナー。しかし、プロ野球の現状は、“カネも権限も与えられる見コミないでショナー”。…

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