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「船村徹 演歌」に関する記事

君夕子さん

あの人は今こうしている

“任侠演歌”でヒット 君夕子さんは10坪スナックのママに

女のコと2人で切り盛りしてる方がどんなに気が楽か」 さて、東大阪市生まれの君さんは歌手を目指して上京し、船村徹門下生に。69年10月、千麻田玲子の芸名で「汽車のあなた」でデビュー。その後、レコード会社を移り、70年、「神様がまちがったのね」で再デビューした。 「当時はやってたのが由紀さおりさんの『手紙』や奥村チヨさんの『中途半端はやめて』、日吉ミミさんの『男と女のお…

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紅白引退の“御大”に意外な過去…北島三郎は漫才師だった!

■その名も「ゲルピン・ちん太・ぽん太」 デビューさせヒット歌手に育ててくれた恩師である、作曲家・船村徹にも義理を欠かさない。船村は北島が歌手デビュー前、歌謡漫才コンビ「ゲルピン・ちん太・ぽん太」を組ませ、“ぽん太”として舞台の前座を務めさせたこともあった。 流しも恥ずかしくてたまらなかったという北島、漫才をするのはさぞつらかっただろうが、北島は今も「船村徹同門会」…

右端が作曲家の新井利昌氏

今あるのはあの人のおかげ

“天然”瀬川瑛子を「芸域広げる」と盛り立てた恩人の激励

多くの歌手の皆さんと競作になった「矢切の渡し」の船村徹先生(作曲)、昨年12月発売の最新曲「泣きたい夜」をはじめ、5作品の作詞や作曲をしてくださった原譲二こと北島三郎先輩。所属のクラウンレコードのプロデューサーさん。そして、ずっと応援し、支えてくれたファンの皆さんがいてくださったから今も現役で続けていられるんです。 そんなたくさんのお世話になった方の中から一人といえ…

両親と(伝蔵さん・90歳、春枝さん・故人=84歳)

鳥羽一郎・山川豊 「我らの演歌路」

演歌が流行っていないと街に活気がない

歌については船村徹先生にコンコンと言われたことがわかるようになった。例えば、「男の港」の「板子一枚、生命を張った」という歌詞。この言葉をメロディーにのせたら、今の若い人が理解できるのか。この人は何を歌っているのかとなりかねない。歌詞が伝わらない。それでなくても、演歌の言葉自体が死語みたいなもので、「板子一枚、生命を張った」と歌っても、ウニャウニャ言っているだけと受…

カツオ船を降りて鳥羽のホテルで5年間板前修業

鳥羽一郎・山川豊 「我らの演歌路」

歌手デビューする弟が調べてくれた船村徹先生の連絡先

それは歌手になりたいからではなく、ただただ船村徹先生に会いたい一心から。 船村先生とは不思議な縁というしかないんです。その当時、歌っている歌手は知っているけど、その曲を誰が作ったか、名前までは知らなかった。で、調べてみると全部、船村先生の曲だったんです。後々、訪ねていくことにもなるしね。 もっとも、全日本歌謡選手権は2回落ちました。予選で歌ったのは船村徹・作曲、星野…

自分の名前が付けられた電車の前で

鳥羽一郎・山川豊 「我らの演歌路」

おふくろは「うちだけで2枠は申し訳ない」と

上京した僕の後を追って船村徹先生の門下生になって3年、船村先生が兄貴にほとんどレッスンらしいレッスンをしなかったというのも分かる気がした。兄貴のデビュー時のキャッチフレーズは「潮の香りが似合う男」。鳥羽の漁師町で育った兄貴がまとっていた潮の香りをそのまま損なうことなく、歌に凝縮させようという狙いがあったのではないか。 船村先生はお茶くみや庭の草むしりなどをやらせ、…

少年時代の山川

鳥羽一郎・山川豊 「我らの演歌路」

兄貴はカツオ船に乗って僕と妹を進学させてくれた

兄貴は早くから、歌手になろうとしていて、師匠になる船村徹先生の歌が大好きだった。 そして遠洋漁業の漁師になり、カツオ船に乗って、世界の海に出ていった。家計を助け、僕と妹を高校に進学させてくれた。家族のために自ら犠牲になってくれたんだ。 高校といっても、僕が入ったのは伊勢市の職業訓練校で、普通の高校に入れないやつ、入っても落第したやつらが集まるようなところだった。学校…

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