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仲谷龍二特集

表彰される岸和田イーグレッツ時代の前田(上)、前田が始球式を行ったサブグラウンド

「マエケン物語」 両親が明かすルーツ

「ケンタグラウンド」でつながる夢

親友の仲谷龍二は、兄が所属するヤングリーグのチームに入ることが決まっていた。 のちに2人は「忠岡ボーイズ」で再びバッテリーを組むことになるのだが、いったん別々の道を歩むこととなった。 3月末に卒団するまでの間、前田と仲谷はイーグレッツで練習。走り込みによる下半身の強化はもちろん、硬式球を使ったティー打撃なども取り入れた。吉元は前田について、「その当時で中学2年生レベ…

送別会の様子(上)・仲谷さんが高校時代に使っていた捕手ミットには「黄金バッテリー」という刺繍が

「マエケン物語」 両親が明かすルーツ

渡米直前、送別会で渡されたプレゼント

幼馴染みの仲谷龍二と仲谷の母が、前田と前田に同行した母の幸代を見送りに来た。仲谷は大阪学院大で野球を続けることになっていた。 ホームで出発のベルが鳴った。 「広島に行っても頑張ってね」 仲谷の母は寂しさのあまり泣き崩れた。生まれたときからずっと、我が子のように接してきた前田がとても大きく見えた。物心ついた時には友達で、小学2年から高校までバッテリーを組んだ仲谷も、こ…

前田たちにとってフレンドリーはオアシスだった

「マエケン物語」 両親が明かすルーツ

先輩のハムをこっそり頂戴してもなぜか見つからず

前田は先輩の身の回りの世話を終えた深夜、幼馴染みの仲谷龍二ら総勢5人で小遣いを握りしめ、寮を抜け出した。 向かった先は学校近くの外環状線沿いにあるファミリーレストランのフレンドリー富田林店(現在は閉店)。そこで寮生活ではお目にかかれないステーキやハンバーグにガッついた。 しかし翌朝、先輩たちにあっけなくバレた。ジャージー姿で五厘刈りの一団がいれば、付近ではPL野球部…

後列右端が前田と母の幸代さん=写真上(仲谷龍二さん提供)・当時の洗濯場

「マエケン物語」 両親が明かすルーツ

寮生活スタート 洗濯機とドライヤーは“争奪戦”

「お客さん」扱いの中で、前田も幼馴染みの仲谷龍二も、小中時代に鍛えたランニングで必死にアピールした。1カ月が過ぎて、ようやくメーングラウンドでの練習が許可された。前田は「ここがPLのグラウンドか」と感激した。 グラウンドから3キロほど離れた寮でも忍耐の日々が続いた。先輩の世話に加え、1年生は入寮から1週間、3年生から就寝の許可が出るまで正座し続けた。夜中3時に及ぶこ…

2年の新チームを組んだ仲谷はバッテリーを組んだ(上)・前田が入寮した金剛寮(下)

「マエケン物語」 両親が明かすルーツ

高校時代編 「実績なんかクソ、全部捨てろ!」の意図

幼なじみの仲谷龍二も一緒に入学した。自己紹介と2年生による寮生活についての説明が終わると、監督の藤原が部員を前にこう訓示した。 「中学生の実績なんかクソだ。そんなものは全部捨てろ!」 世界大会MVPの勲章を手にしていた前田は、いきなり鼻っ柱を折られた。藤原がその意図についてこう言う。 「生徒たちは嫌だったかもしれませんが、中学のときは良くても、高校でダメになる子は多…

忠岡ボーイズの門田義人監督(左)と忠岡ボーイズに置かれている前田の写真

「マエケン物語」 両親が明かすルーツ

PL、横浜、青森山田…全国30校による大争奪戦

■立派なバット 前田はバッテリーを組んでいた幼馴染みの仲谷龍二にも相談した。PLは数年前の暴力事件により甲子園から遠ざかっていたが、多くのプロ野球選手を輩出した実績に心は傾いていった。前田が中学3年の夏に3年ぶりの甲子園出場を果たした。小窪哲也(現広島)が主将だった。ますますPLが身近に感じられた。ある日、前田の元に立派なバットが届いた。井元からだった。阪川は「き…

中学時代の前田 (前田家提供)

「マエケン物語」 両親が明かすルーツ

親友が明かしたイタズラの中身

小学生時代にバッテリーを組んだ親友の仲谷龍二が同じチームにいなかったからだ。できれば息の合う捕手と組みたいと思っていた。 仲谷は小学6年のときは3番で、4番の前田と中軸を担った。前田と同じ忠岡中学校に入学したが、兄がいたヤングのチームでプレーした。しかし仲谷も物足りなさを感じていた。野球を楽しめず、中学2年になると「野球をやめたい」と思うまでになった。周囲も仲谷の様…

近畿軟式野球大会での記念写真(前列左が前田=岸和田イーグレッツ提供。下は当時の新聞記事)

「マエケン物語」 両親が明かすルーツ

小6で逆方向へ狙い通りの本塁打を放った

親友である仲谷龍二の1歳上の兄・和也がエースだったチームは年間98勝した。 同学年にはバッテリーを組んだ仲谷に加え、投手のライバルがいた。今津が言う。 「松元健二という子で、小6当時で125キロを投げ、5番を打っていた。健太が投手のときは松元は遊撃、松元が投げるときは健太が遊撃といった形で入れ替わりで投げた。健太も松元にライバル心を抱いていたと思います。あの年以降、…

写真上・水泳が得意だった、写真下・小1の時は空手もやった(中央が健太)

「マエケン物語」 両親が明かすルーツ

足を骨折しながらマラソンを走り切った

当時は、『忠岡のイアン・ソープ』と言われていました」 こう話すのは、前田の親友・仲谷龍二だ。前田は、野球以外のスポーツでも才能を発揮した。なかでも2歳3カ月から習い始めた水泳は出色だった。1時間は泳ぎっぱなし。子どもにとっては厳しい練習だったが、クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライとどんどんマスターしていった。 小学3年のときには、西日本大会の背泳ぎの部で優勝を果た…

上は特訓の場になった運動場、壁当ての場所を指す母・幸代さん

「マエケン物語」 両親が明かすルーツ

「全然走ってないやん!」と並走した母の特訓

前田と親友の仲谷龍二を拾って車中でユニホームに着替えさせ、おにぎりをほおばらせてから岸和田イーグレッツに送り届けた。自宅に戻って夕食の用意をし、練習後、再びグラウンドへ迎えに行った。 練習がない日は、夕食前の夜7時ごろに前田を連れて、忠岡町民運動場に向かった。町役場の隣にある広々としたグラウンドで、1周すれば400メートルほどになる。まずは5周を目標にした。キャラバ…

入団当時の前田と仲間たち

「マエケン物語」 両親が明かすルーツ

野球ができない1カ月間はノイローゼ状態だった

前田は小学3年のとき、親友の仲谷龍二ら4人で地元のチームを離れ、岸和田イーグレッツに移籍した。 幸代と仲谷の母は一緒にチームを回って情報収集し、最終的には前田たちが決めた。全国大会を目標に掲げる強豪チーム。よりよい練習環境を求めたからだった。 イーグレッツに移籍するまで、1カ月ほど空白の時間があった。自分たちにとってどこがベストなのか、仲間とチームを探していたためだ…

野球ごっこをした場所(左)

「マエケン物語」 両親が明かすルーツ

健太は38度の高熱を押してイチローを見に行った

サッカーに夢中だった前田は、親友の仲谷龍二(27)に誘われて野球を始めた。小学2年のときだった。 仲谷が在籍していた地元のリトルのチームに入団。小学1年でヴェルディ川崎(当時)のファンになり、地元のサッカーチームに入っていたが、それをやめてまで野球を始めたのは、仲谷と一緒に遊びたい一心からだった。 野球を始めた当初は苦労した。前田は、「キャッチボールもロクにできなか…

上は親友の仲谷さんと(仲谷さん提供写真)と父が買ったグラブ

「マエケン物語」 両親が明かすルーツ

野球の世界へと導いてくれた“親友の一言”

親友である仲谷龍二(27)の存在が大きかった。 前田は生まれたときから、仲谷と常に一緒にいた。仲谷の1歳年上の兄も加えて、どこに行くにも何をするにも、「3人でワンセット」だった。 3歳のとき、治茂が仕事中の事故で名古屋の病院に入院し、1カ月ほど離れ離れになったとはいえ、顔を合わせない日はほぼなかった。 東忠岡小学校に入学してからは毎朝、仲谷兄弟が前田家へ迎えに来た。…

幼少期の前田(前列左から3人目。両脇は親友の仲谷さん兄弟)

「マエケン物語」 両親が明かすルーツ

野球嫌いの健太がある日突然「やりたい」と言い出した

仲谷龍二(27)である。 生まれる前から2人はつながっていた。前田の母・幸代(51)と仲谷の母は勤め先の同僚で、仲が良かった。家も近所で、家族ぐるみの付き合いをしていた。偶然にも、88年に揃って子どもが生まれた。前田と仲谷である。 習い事も一緒にやった。2歳から水泳教室、体操教室に通った。同じ東忠岡幼稚園に入園し、2人で手をつないで通った。幸代が当時を振り返って言う…

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