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「徳川家康 戦い」に関する記事

週末に読みたいこの1冊

「津軽双花」葉室麟著

徳川家康の姪である満天姫は、福島正則の養嫡子・正之に嫁いで直秀を産んだが、正之が廃嫡となった末に幽閉されて亡くなったため、直秀を伴って実家へと戻っていた。そんな満天姫のもとに、津軽信枚との縁談話が持ち込まれる。しかし信枚にはすでに正室・辰姫がおり、彼女は石田三成の娘だった。つまりこの縁談は、徳川側の満天姫が石田側の辰姫を正室の座から追い出すものだった。この婚姻を機に…

「超現代語訳 戦国時代」房野史典著

豊臣秀吉が徳川家康を自分の配下におこうとしていた頃、真田家の長男、信幸は徳川の家臣、本多忠勝の娘を、次男の信繁は豊臣の家臣、大谷吉継の娘を妻とした。関ケ原の戦いのとき、父・昌幸と信繁は豊臣に、信幸は徳川方について戦った。信幸は秀忠の使者として降参するよう説得すると、昌幸は家臣を説得する時間がほしいと言う。ところが、何日も待たせた揚げ句、昌幸がよこした手紙にはこう書か…

週末に読みたいこの1冊

「鬼手 小早川秀秋伝」大塚卓嗣著

兄のような宇喜多秀家、律義者の徳川家康、冷酷無比な大谷吉継など、今までにない人物設定となっており、同じ歴史上の出来事が、解釈によって全く見え方が変わることに気づかされる。(光文社 1300円+税)…

イラスト・若生圭汰

日本史再見 英雄になれなかった男

豊臣家を救えなかった前田利家

徳川家康を刺し殺さず 時代は下がって慶長3(1598)年、秀吉が死没すると、豊臣政権の体制が揺らぎ始めます。利家と同格の大老となった徳川家康が、法度を破り、伊達政宗や福島正則らと勝手に婚姻を結んだのです。これに石田三成が異を唱えて、家康と対立。その結果、三成は謹慎処分を受けます。 利家の目には、家康の目論見が読めていました。秀吉子飼いの武将を反目させて、豊臣家を…

イラスト・若生圭汰

日本史再見 英雄になれなかった男

父・信玄を意識し過ぎて墓穴を掘った武田勝頼の顛末

その揚げ句、天正3年4月、織田信長と徳川家康の連合軍と激突します。 武田から徳川方へ寝返った奥平貞昌(のち信昌)の三河・長篠城(現・愛知県新城市)を包囲したのです。信長は3万8000人の大軍を派遣し、設楽原に馬防柵を設営。これを勝頼は、信長が武田の騎馬軍団を恐れている、と錯覚しました。 ■「長篠・設楽原の戦い」で大敗 「勝った」と心中で叫んだ彼は、周囲の者たちの作戦…

イラスト・宮西真由

嫉妬、憎悪…コンプレックスの日本史

加藤清正、福島正則らを老獪な戦略で操った徳川家康

この戦を語る上で無視できないのが、徳川家康の老獪さです。豊臣秀吉の子飼いの武将たちを籠絡し、自分の部下のように働かせたのですから。 家康が利用したのは福島正則、加藤清正、黒田長政らの石田三成への憎悪・嫉妬でした。 発端は文禄元(1592)年から始まった、朝鮮出兵にあります。 正則らは、朝鮮半島でひもじい思いをしながら戦っていましたが、一方の三成は国内で、秀吉の側近…

家康は苦労人だった

戦国武将サバイバル術

【徳川家康編】発想の転換で待ちの家康のごとく後日に備えよ

イラスト・若生圭汰

日本史再見 英雄になれなかった男

敵中突破で脱出した島津義弘…家康との駆け引きに勝利

この戦いで義弘は当初、徳川家康率いる東軍につくべく、伏見城に入城を願い出ました。ところが、留守居役の鳥居元忠に拒絶されます。そのため義弘は西軍に参陣。兄で島津家16代当主の義久に増兵を要請するも、兵は送られませんでした。当初は200ほどの手勢のみ。義弘に心酔する家臣が、個人で参加して1500となりました。 開戦前、義弘は西軍を率いる石田三成に、敵に夜襲をかけるべき…

イラスト・林蓮珠

日本史再見 英雄になれなかった男

主君・長政から嫌がらせ 大阪夏の陣に散った後藤又兵衛の悲劇

徳川家康は10万石を与えるから自分につけと要請するが、又兵衛はこれを断り、密かに花若を推挙。花若は徳川方の武将として参陣を許される。何も知らない花若は戦の前に会った又兵衛を父の仇として討とうとするが、又兵衛は「わしを戦場で討ち取って手柄とされよ」と告げて立ち去る。ここにも又兵衛の覚悟が表れている。 ちなみに鎮房が殺害されたとき、彼の家臣たちが討ち死にしたのが中津市内…

イラスト・齋藤礼実

日本史再見 英雄になれなかった男

伊達政宗 スペイン国王と組んで謀叛を企てていた

政宗は秀吉に臣従し、関ケ原の戦い(1600年)では徳川家康の側につきました。天下取りの野望をすっかり忘れたかのようですが、実は闘志満々。徳川幕府に叛旗を翻そうとしたのです。 それを語る前に、政宗を取り巻く人物を2人紹介しましょう。一人は家康の重臣で石見(現・島根県西部)や佐渡などの鉱山開発に尽力した大久保長安。徳川家に利益をもたらしました。 ところが慶長18(16…

イラスト・佐々木桜

日本史再見 英雄になれなかった男

奇襲のチャンスをつぶし関ヶ原で惨敗した石田三成の不運

慶長5(1600)年、豊臣政権五大老の一人・徳川家康が、上杉景勝の討伐を口実に出陣。これによって同年9月15日、関ヶ原で家康の東軍と五奉行の石田三成が組織した西軍が衝突し、東軍が大勝利したことはご存知でしょう。 この戦いで着目したいのが“三成の不運”です。戦の終盤に、味方の小早川秀秋に裏切られただけではありません。 たとえば決戦の半年前の3月11日、家康が大坂の前…

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日本史再見 英雄になれなかった男

死因は脳溢血 49歳で死んだ上杉謙信の無念

もし謙信が長寿だったら、先に死亡した信玄の後継者・勝頼と同盟を組み、織田信長・徳川家康連合軍と一大決戦をすることも可能だったはずです。そうなれば謙信によって、室町幕府が再興され、戦国史が大きく変わった可能性がありますね。 ■敵に塩を送った話は美談ではなかった 上杉謙信は「我は毘沙門天の生まれ変わりなり」と語っていたとされる。毘沙門天だから、鉄砲の弾も自分を避けると考…

山の中腹に位置する「オトチの洞穴」

おでかけ出張コンシェルジュ

「真田丸」で注目 滋賀長浜市の戦国武将“石田三成”の岩窟

関ケ原の戦いで徳川家康に敗れた戦国武将、石田三成。怜悧な能吏というイメージが強く、知名度の割に人気がない。その生涯にスポットが当たることも少なかった。しかし、最近は人気ゲームシリーズ「戦国無双」でイケメン武将として描かれ、放送中のNHK大河「真田丸」でも真田信繁の運命を左右する人物として注目されるようになっている。 そんな三成の魅力を探るべく、「三成伝説」の著者、田…

今年は時代劇への出演が続く

ドラマ彩る 大河「真田丸」の女たち

竹内結子演じる茶々 他人蹴落とした天下人最愛のセレブマダム

そこで徳川家康(内野聖陽)が狙いをつけた豊臣のウイークポイントが茶々だった。家康は城の外から夜な夜な自軍に大声をあげさせ、大砲を撃ち込んだ。6歳の時、城攻めで父を亡くした茶々のトラウマは根深い。結局、茶々と秀頼は和睦を受け入れ、大事な濠も埋められ、真田丸も取り壊されて、豊臣家滅亡へまっしぐら……。 茶々は、自軍の士気を高めるため、大将である秀頼さま出陣を、と要請され…

家康役の内野聖陽に責任はないが…

「真田丸」視聴率ブレーキ 史実と異なる“家康”に問題あり?

もっとも多いのが「徳川家康(役・内野聖陽)ってホントにあんなに情けないヤツだったの?」という声。たしかに、本能寺の変の直後の「伊賀越え」ではあまりの急坂のため、ヨタヨタとなり、最後は泣きべそまでかかせる始末。 軍略についても本多正信(近藤正臣)と本多忠勝(藤岡弘、)という2人の重臣にまかせっきりで、家康自身はまるで「ボク、何にも知らないも~ん」のような態度。 ホン…

武田信玄像

戦国武将サバイバル術

【武田信玄】ライバルだけを意識していると本来の目的を見失う

信玄は三方ケ原で徳川家康を破ったものの、胸を患って53歳で死去。信玄が後継者の勝頼に「謙信とは戦うな。おまえの頼れる人物は謙信しかいない」と言った、その謙信も信玄死没の5年後、49歳でこの世を去ります。結果、天下は信長の手に。 片目で足の悪い山本勘助を軍師に取り立てるほどの見る目、力もあった信玄でございましたが、好敵手をもったばかりの悲劇ともいえるでしょう。“向上す…

祖父が歴史好きだったという杏/(C)日刊ゲンダイ

5歳から歴女の杏 「好きな武将は島津義弘公と蒲生氏郷公」

28日、杏(28)が「徳川家康没後400年記念 大 関ヶ原展」記者発表会に着物姿で登場。同展のスペシャルサポーターに就任した杏は歴史好きの“歴女”。 「幼稚園の卒園文集が残っていて、私はなぜか『着物を着て絵を描く人になりたい』と書いていた。生まれて5年で、もう何か思っていたんだろうなあと。あとは中学校の歴史の授業がすごく面白くて、祖父が歴史好きだったという影響もあっ…

「峠越え」伊東潤著

■凡庸さを自覚、天下人となった家康の人間力を活写 IT業界から歴史小説作家に転身、吉川英治文学新人賞、山田風太郎賞など数々の賞を受けた実力派が、徳川家康を描いた。 己の凡庸さを自覚している家康は、才走った信長を畏怖している。同盟関係にありながら、信長を頭上の重しのように感じ、信長のひと言に、家康の肝は縮み上がる。 小心な家康だが、それでも三河武士の粘り強さで、桶狭間…

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