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「徳川家康 石田三成」に関する記事

週末に読みたいこの1冊

「津軽双花」葉室麟著

徳川家康の姪である満天姫は、福島正則の養嫡子・正之に嫁いで直秀を産んだが、正之が廃嫡となった末に幽閉されて亡くなったため、直秀を伴って実家へと戻っていた。そんな満天姫のもとに、津軽信枚との縁談話が持ち込まれる。しかし信枚にはすでに正室・辰姫がおり、彼女は石田三成の娘だった。つまりこの縁談は、徳川側の満天姫が石田側の辰姫を正室の座から追い出すものだった。この婚姻を機に…

2016年大河ドラマは「真田丸」

7人の影武者いた? 人気歴史家が明かす“真田幸村生存説”

幸村、人質として大坂へ 1590年 小田原城攻めで初陣? 1594年 大谷吉継の娘と結婚 1600年 6月/徳川家康の上杉景勝討伐軍に加わる 7月/石田三成の密使が昌幸のもとに到着。昌幸、幸村は 西軍につくことを決め上田城に向かう。兄信幸は徳川軍に残る 9月/徳川秀忠軍、真田父子のこもる上田城を攻め敗北。 関ケ原の合戦では西軍が敗れる 12月/幸村・昌幸、紀州高野山…

イラスト・宮西真由

嫉妬、憎悪…コンプレックスの日本史

加藤清正、福島正則らを老獪な戦略で操った徳川家康

この戦を語る上で無視できないのが、徳川家康の老獪さです。豊臣秀吉の子飼いの武将たちを籠絡し、自分の部下のように働かせたのですから。 家康が利用したのは福島正則、加藤清正、黒田長政らの石田三成への憎悪・嫉妬でした。 発端は文禄元(1592)年から始まった、朝鮮出兵にあります。 正則らは、朝鮮半島でひもじい思いをしながら戦っていましたが、一方の三成は国内で、秀吉の側近…

イラスト・若生圭汰

日本史再見 英雄になれなかった男

豊臣家を救えなかった前田利家

徳川家康を刺し殺さず 時代は下がって慶長3(1598)年、秀吉が死没すると、豊臣政権の体制が揺らぎ始めます。利家と同格の大老となった徳川家康が、法度を破り、伊達政宗や福島正則らと勝手に婚姻を結んだのです。これに石田三成が異を唱えて、家康と対立。その結果、三成は謹慎処分を受けます。 利家の目には、家康の目論見が読めていました。秀吉子飼いの武将を反目させて、豊臣家を…

イラスト・佐々木桜

日本史再見 英雄になれなかった男

奇襲のチャンスをつぶし関ヶ原で惨敗した石田三成の不運

慶長5(1600)年、豊臣政権五大老の一人・徳川家康が、上杉景勝の討伐を口実に出陣。これによって同年9月15日、関ヶ原で家康の東軍と五奉行の石田三成が組織した西軍が衝突し、東軍が大勝利したことはご存知でしょう。 この戦いで着目したいのが“三成の不運”です。戦の終盤に、味方の小早川秀秋に裏切られただけではありません。 たとえば決戦の半年前の3月11日、家康が大坂の前…

山の中腹に位置する「オトチの洞穴」

おでかけ出張コンシェルジュ

「真田丸」で注目 滋賀長浜市の戦国武将“石田三成”の岩窟

関ケ原の戦いで徳川家康に敗れた戦国武将、石田三成。怜悧な能吏というイメージが強く、知名度の割に人気がない。その生涯にスポットが当たることも少なかった。しかし、最近は人気ゲームシリーズ「戦国無双」でイケメン武将として描かれ、放送中のNHK大河「真田丸」でも真田信繁の運命を左右する人物として注目されるようになっている。 そんな三成の魅力を探るべく、「三成伝説」の著者、田…

イラスト・若生圭汰

日本史再見 英雄になれなかった男

敵中突破で脱出した島津義弘…家康との駆け引きに勝利

この戦いで義弘は当初、徳川家康率いる東軍につくべく、伏見城に入城を願い出ました。ところが、留守居役の鳥居元忠に拒絶されます。そのため義弘は西軍に参陣。兄で島津家16代当主の義久に増兵を要請するも、兵は送られませんでした。当初は200ほどの手勢のみ。義弘に心酔する家臣が、個人で参加して1500となりました。 開戦前、義弘は西軍を率いる石田三成に、敵に夜襲をかけるべき…

イラスト・八木幸恵

嫉妬、憎悪…コンプレックスの日本史

秀吉の茶頭として出世しながら切腹に追い込まれた千利休

利休が所有していた名物茶器を秀吉が所望し、これを利休が拒否したからという話もあれば、徳川家康のスパイだったという話も。生前の利休が最後に茶会を開いた相手は家康だった。その関係で、利休が秀吉を暗殺しようとしたというのだ。 ドラマチックなのは秀吉が利休の娘を側女に欲しがり、利休がこれを断ったという説。この話を題材にしたのが今東光の小説「お吟さま」だ。1978年に熊井啓…

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