日刊ゲンダイDIGITAL

  • facebook  
  • twitter  
  • google+

瀬古利彦 特集

瀬古 利彦(せこ としひこ)1956年7月15日三重県生まれ。陸上競技指導者。DNAランニングクラブ総監督。1984年、ロサンゼルスオリンピックのマラソンで14位。現役引退後はヱスビー食品陸上部監督、早稲田大学競走部のコーチを歴任。13年4月、DNAランニングクラブ総監督に就任。
リオの男子は佐々木(左)の16位、女子は福士(右下)の14位

陸連白羽の矢 マラソン復活へ瀬古利彦氏に求められるもの

リーダーに84年ロス(14位)、88年ソウル五輪(9位)男子代表の瀬古利彦氏(60=DeNA総監督)を任命。ナショナルチーム(NT)の強化には、女子が山下佐知子氏(第一生命監督)、男子は坂口泰氏(中国電力監督)があたる。瀬古リーダーとNTの橋渡しは、河野匡氏(大塚製薬女子監督)が務めるという。 瀬古リーダーは早速「今の練習(量)だったら100%メダルは無理」と、練習…

青学大が3連覇した箱根駅伝は大人気(中央は原晋監督)

日本実業団陸上競技連合 西川晃一郎会長インタビュー

スポーツマンですから可能性がある限り知恵を出し、汗をかき、みんなで頑張っていこうと思います」(おわり)…

日本実業団陸上競技連合会長の西川晃一郎氏

日本実業団陸上競技連合 西川晃一郎会長インタビュー

自分のところにリターンがないと困りますが、経営者の視点では、例えば、代表候補の有力選手を数カ月派遣して欲しいということになった時、賛同しないとは考えにくいです」(つづく)…

青学大陸上部監督の原晋氏

青学大・原晋監督「革命宣言」

「世界のトップで戦うための“総本山的組織”を作りたい」

往年の名ランナーでDeNAランニングクラブ総監督の瀬古利彦氏をリーダーに据えて改革に乗り出した。実績もあり、知名度抜群の瀬古氏の手腕の見せどころだが、瀬古氏個人にオンブにダッコではなく、長距離界全体の意識革命が必要となってくる。そんな中、先進的な発想と前例にとらわれない実行力で大学陸上界をグイグイと引っ張っているのが、青山学院大陸上部・原晋監督(49)である。10日…

中山竹通さんとライバル関係だった瀬古利彦氏

マラソン日本の終焉

21歳で結論 打倒・瀬古利彦には“つま先走法”

(つづく)…

Qちゃん“臨時コーチ”は大正解

高橋尚子“臨時コーチ”で期待 山下強化コーチとの二人三脚

防府読売マラソンで3位に終り、報道陣の質問に答える川内

川内優輝は中13日で2レース 実業団から“2世”なぜ出ない

低迷する国内マラソンの立て直しを託された長距離・マラソン強化戦略プロジェクトの瀬古利彦リーダーも、世界と国内とのレベルは十分認識しているが、20年東京五輪では入賞者(8位以内)ぐらいは出したい。川内のように間隔を詰めてレースに出ろとは言わないまでも、「実業団選手はもっと本気でマラソンの練習をやって欲しい」と語っている。 瀬古リーダーは福岡国際の激走のあと、100キ…

川内優輝

スポーツ時々放談

東京五輪は“マラソンの妙”をクローズアップするチャンス

11月に日本陸連の長距離・マラソン強化戦略プロジェクトリーダーに就任したばかりの瀬古利彦氏も絶賛で、来年の世界陸上代表入りは間違いない。 今回の川内の貢献は2つある。かつてボストンと双璧をなした福岡国際も、最近はスポンサー離れに苦しみ、唯一の注目選手だった川内が直前に肉離れ……。来年からの大型スポンサーのメドも立った折、人気をつなぎとめた必死走はうれしい。もうひとつ…

日本勢トップの3位に入った川内優輝

市民ランナー川内の3位で浮き彫り 実業団選手の低レベル

今大会のテレビ解説を務めた日本陸連の長距離・マラソン強化戦略プロジェクトリーダーでもある瀬古利彦氏が口癖のように言っていることだが、今の選手はマラソンの練習量が驚くほど少ない。 これまで400ものレースを走ってきた川内は、トレーニングで80キロから100キロ走も行っている。こんな選手は実業団には皆無だし、指導者も故障されたら困るのでマラソン強化の練習はあまりやらな…

15年福岡国際では3位の佐々木もリオでは…

福岡国際もローカル大会に 日本マラソンが陥る“負の連鎖”

宗茂・猛兄弟や瀬古利彦、中山竹通らがしのぎを削った80年代は、国内レースでもテレビ中継の平均視聴率は40%を超えることもあった。 今はどうか。ある陸連関係者がこう言った。 「かつては、ボストンか福岡かといわれていたものです。それが今は、ローカル大会になってしまった」 リオ五輪代表の選考レースだった昨年でも同9.9%、一昨年は同7・6%(ビデオリサーチ調べ)と、さら…

「さいたま」5位で終わった那須川

世界に遅れる日本マラソン 派遣枠縮小示唆のナンセンス

しかし、それを言うなら長距離・マラソン強化戦略プロジェクトのリーダーの瀬古利彦氏(60)は、「今の選手は練習量が足りない」と言うだけでなく、画期的かつ具体的な強化プランを披露するべきだ。「派遣枠縮小」で選手を脅したところで記録は伸びない。…

リオ五輪男子マラソンは佐々木悟の16位がベスト(右・瀬古利彦氏)

練習量批判の瀬古リーダーに託されたマラソン強化の不安

ケガを恐れていたのでは話にならない」 こう語るのは、男子マラソンの元名選手でDeNA総監督の瀬古利彦氏(60)だ。20年東京五輪へ向けて新設された「長距離・マラソン強化戦略プロジェクト」のリーダーに就任すると、3日に行われた東日本実業団対抗駅伝後に報道陣の取材に応じた。 現役時代は国内大会だけでなく、ボストン、ロンドン、シカゴマラソンにも優勝。ソウル五輪(9位)代表…

リオ五輪は惨敗だったが

スポーツ時々放談

東京五輪で問題にすべきはマラソンコースだ

トカゲのしっぽ切りで済ませようと、長距離は瀬古利彦を担ぎ出し、マラソン担当部長として高岡寿成(カネボウ監督)と山下佐知子(第一生命監督)で4年後に備えるそうだ。 真面目な指導者だが、世界のマラソンはスピード化に拍車がかかって男子は2時間2分台をターゲットにし、一方で、東京大会の目標記録は2時間15分から20分。夏のマラソン論議もせずに何を期待するのか、ゴールは陽炎の…

86年アジア大会(ソウル)男子マラソンで優勝した中山

マラソン日本の終焉

暮れの五輪選考レースは3月にもう始まっていた

ソウルオリンピック前年で、どうしても瀬古利彦さんの記録、27分42秒を破っておきたかった。 ソウルの代表選考は、暮れの福岡国際マラソンの一発勝負に決まっていました。主催者側の事情で、東京、びわ湖も代表選考レースになっていましたが、すっきり決めようと、選手の間では福岡での一発勝負ということで決まっていたんです。 ぼくと佐藤進コーチが立てた計画は、瀬古さんが持つ1万メー…

92年バルセロナ五輪は4位

マラソン日本の終焉

秋から冬の競技なのに夏を最大目標にする本末転倒

この年はロサンゼルスオリンピックの代表選考会で、瀬古利彦さんが優勝して、宗茂さん、宗猛さんと続き、理想的な代表選考といわれた大会です。ぼくは14位に入り、翌84年に初優勝しました。ロスに行った3人が出なかったので、優勝しても、エース不在みたいな言い方をされたのを覚えています。 もちろん、オリンピックは目指しましたが、当時はいまのように代表選考会がすべてという考えはな…

リオ五輪女子マラソンでゴール後、笑顔で取材を受ける福士

マラソン日本の終焉

「自分はプロ」と言ったらコーチに叱られた

瀬古利彦さんも、宗茂さん、猛さんたちにしても、80年代のマラソン選手はみな、自分はプロだと思っていたはずです。実際、あの時代に陸上競技はアマチュアからプロ競技になりました。カール・ルイスやジョイナー、ブブカとかモタ、みんなプロです。 有森裕子さんがプロ宣言したとき、彼女に言ったことがあるんです。ぼくらはみんなプロだったよって。プロはお金とかそういうことじゃない。その…

リオ男子マラソンは佐々木16位、石川36位、北島94位に終わった

マラソン日本の終焉

自己表現がなければこれほど面白くない競技はない

瀬古さんだってメダルも入賞もなかったけど、マラソンランナー瀬古利彦のイメージは残っています。そもそも、オリンピックで入賞しても賞状なんかもらえませんから。4位だった証拠は手元に何も残っていないんです。オリンピックの手応えは、自分とその時代の人が知っているだけですが、ぼくはそれで十分だろうと思います。 今回のマラソンは男女とも惨敗でした。情けないとか言いたくないです…

(左から)小椋久美子、G・G・佐藤、瀬古利彦

あれもこれも言わせて

バラエティーで五輪の裏話、秘密バラす元選手がイタイ!

「五輪でメダル候補と言われながら、敗れてしまった一流選手」というくくりで登場したのは、マラソンの瀬古利彦、野球のG.G.佐藤、バドミントンの小椋久美子の3人。 佐藤が「メダルを逃したら、メディアにすごい叩かれた」と言えば、小椋も「負けると取材記者が一気にいなくなる」と五輪あるある話を披露。 「五輪で金メダルを取っていたら、10億円以上手に入っていた」と悔しがる瀬古。…

85年神戸ユニバーシアード期間中も織田さんと飲んだ

ケニア人ランナーを売る男

“陸上の神様”がマラソン界の不甲斐なさを知ったら

今の日本マラソンの不甲斐なさを知ったら、織田さんは怒るだろうなって……」 80年代は瀬古利彦、宗兄弟、伊藤国光、喜多秀喜、中山竹通たちが日本マラソン界に君臨した全盛時代。毎年、福岡国際、東京国際、びわ湖毎日などの主要大会開催のときは海外選手も出場し、テレビ放映の視聴率30%超はざら。時には40%を超えるときもあった。小林氏はこう振り返る。 「ナイロビの自宅に大会を主…

イカンガーは83年福岡国際で瀬古と競り合い3秒差の2位

ケニア人ランナーを売る男

イカンガーがレースを引っ張った選考会の翌日…

「当時は瀬古利彦、宗兄弟、伊藤国光、喜多秀喜などがいてね。誰もがロスを狙える状況で、瀬古が所属するエスビー食品の中村清監督が私に言ってきた。『イカンガーを連れてきて、瀬古を引っ張ってくれ』とね。要するに日本人選手のペースを乱してくれと。まあ、中村監督は早稲田の大先輩だからね。一応『いいですけど、イカンガーは黙っていても先頭で突っ走りますよ』と言ったよね」 案の定、…

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

最新のスポーツ記事