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「徳川家康 家臣」に関する記事

「超現代語訳 戦国時代」房野史典著

豊臣秀吉が徳川家康を自分の配下におこうとしていた頃、真田家の長男、信幸は徳川の家臣、本多忠勝の娘を、次男の信繁は豊臣の家臣、大谷吉継の娘を妻とした。関ケ原の戦いのとき、父・昌幸と信繁は豊臣に、信幸は徳川方について戦った。信幸は秀忠の使者として降参するよう説得すると、昌幸は家臣を説得する時間がほしいと言う。ところが、何日も待たせた揚げ句、昌幸がよこした手紙にはこう書か…

NHKドラマ「真田丸」は堺雅人主演

NHKドラマ「真田丸」が100倍楽しくなる幸村トリビア秘話

大坂冬の陣に続く夏の陣で、幸村がわずかな手勢を率いて徳川家康の本陣である天王寺茶臼山に攻め込んだ突撃の武勇伝は有名だ。しかし、押し寄せる徳川方15万人に対し、勝ち目がないと判断した豊臣方は、浪人たちが次々と大坂から離れ、多勢に無勢。ところが、幸村の奇襲によって家康は2度も切腹を覚悟したらしい。どんな戦法を使ったのか。 「幸村が単身、家康の面前まで迫り、討ち取る寸前ま…

週末に読みたいこの1冊

「鬼手 小早川秀秋伝」大塚卓嗣著

兄のような宇喜多秀家、律義者の徳川家康、冷酷無比な大谷吉継など、今までにない人物設定となっており、同じ歴史上の出来事が、解釈によって全く見え方が変わることに気づかされる。(光文社 1300円+税)…

イラスト・若生圭汰

日本史再見 英雄になれなかった男

敵中突破で脱出した島津義弘…家康との駆け引きに勝利

この戦いで義弘は当初、徳川家康率いる東軍につくべく、伏見城に入城を願い出ました。ところが、留守居役の鳥居元忠に拒絶されます。そのため義弘は西軍に参陣。兄で島津家16代当主の義久に増兵を要請するも、兵は送られませんでした。当初は200ほどの手勢のみ。義弘に心酔する家臣が、個人で参加して1500となりました。 開戦前、義弘は西軍を率いる石田三成に、敵に夜襲をかけるべき…

イラスト・宮西真由

嫉妬、憎悪…コンプレックスの日本史

加藤清正、福島正則らを老獪な戦略で操った徳川家康

この戦を語る上で無視できないのが、徳川家康の老獪さです。豊臣秀吉の子飼いの武将たちを籠絡し、自分の部下のように働かせたのですから。 家康が利用したのは福島正則、加藤清正、黒田長政らの石田三成への憎悪・嫉妬でした。 発端は文禄元(1592)年から始まった、朝鮮出兵にあります。 正則らは、朝鮮半島でひもじい思いをしながら戦っていましたが、一方の三成は国内で、秀吉の側近…

イラスト・林蓮珠

日本史再見 英雄になれなかった男

主君・長政から嫌がらせ 大阪夏の陣に散った後藤又兵衛の悲劇

徳川家康は10万石を与えるから自分につけと要請するが、又兵衛はこれを断り、密かに花若を推挙。花若は徳川方の武将として参陣を許される。何も知らない花若は戦の前に会った又兵衛を父の仇として討とうとするが、又兵衛は「わしを戦場で討ち取って手柄とされよ」と告げて立ち去る。ここにも又兵衛の覚悟が表れている。 ちなみに鎮房が殺害されたとき、彼の家臣たちが討ち死にしたのが中津市内…

イラスト・若生圭汰

日本史再見 英雄になれなかった男

父・信玄を意識し過ぎて墓穴を掘った武田勝頼の顛末

その揚げ句、天正3年4月、織田信長と徳川家康の連合軍と激突します。 武田から徳川方へ寝返った奥平貞昌(のち信昌)の三河・長篠城(現・愛知県新城市)を包囲したのです。信長は3万8000人の大軍を派遣し、設楽原に馬防柵を設営。これを勝頼は、信長が武田の騎馬軍団を恐れている、と錯覚しました。 ■「長篠・設楽原の戦い」で大敗 「勝った」と心中で叫んだ彼は、周囲の者たちの作戦…

家康は苦労人だった

戦国武将サバイバル術

【徳川家康編】発想の転換で待ちの家康のごとく後日に備えよ

イラスト・齋藤礼実

日本史再見 英雄になれなかった男

伊達政宗 スペイン国王と組んで謀叛を企てていた

政宗は秀吉に臣従し、関ケ原の戦い(1600年)では徳川家康の側につきました。天下取りの野望をすっかり忘れたかのようですが、実は闘志満々。徳川幕府に叛旗を翻そうとしたのです。 それを語る前に、政宗を取り巻く人物を2人紹介しましょう。一人は家康の重臣で石見(現・島根県西部)や佐渡などの鉱山開発に尽力した大久保長安。徳川家に利益をもたらしました。 ところが慶長18(16…

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日本史再見 英雄になれなかった男

死因は脳溢血 49歳で死んだ上杉謙信の無念

もし謙信が長寿だったら、先に死亡した信玄の後継者・勝頼と同盟を組み、織田信長・徳川家康連合軍と一大決戦をすることも可能だったはずです。そうなれば謙信によって、室町幕府が再興され、戦国史が大きく変わった可能性がありますね。 ■敵に塩を送った話は美談ではなかった 上杉謙信は「我は毘沙門天の生まれ変わりなり」と語っていたとされる。毘沙門天だから、鉄砲の弾も自分を避けると考…

イラスト・森琴野

失敗と成功の日本史

ライトアップ再開 いまも語り継がれる「熊本城の知恵」

秀頼が徳川家康と面会した際に、“護衛役”として同席したことは有名です。清正は万一、家康が大坂城の秀頼を攻めた場合、秀頼を熊本に迎え、この地を本拠に徳川と戦おうと覚悟していた。“将軍の間”にはそんな意味もあるといいます。 清正は熊本城に、いくつもの工夫をこらしています。そのひとつが、城内に銀杏の木を植えたこと。実がなって一面が匂うようになると、落ちた銀杏を家臣に集めさ…

山の中腹に位置する「オトチの洞穴」

おでかけ出張コンシェルジュ

「真田丸」で注目 滋賀長浜市の戦国武将“石田三成”の岩窟

関ケ原の戦いで徳川家康に敗れた戦国武将、石田三成。怜悧な能吏というイメージが強く、知名度の割に人気がない。その生涯にスポットが当たることも少なかった。しかし、最近は人気ゲームシリーズ「戦国無双」でイケメン武将として描かれ、放送中のNHK大河「真田丸」でも真田信繁の運命を左右する人物として注目されるようになっている。 そんな三成の魅力を探るべく、「三成伝説」の著者、田…

個性的なドラマでも活躍

ドラマ彩る 大河「真田丸」の女たち

斉藤由貴が演じる阿茶局 つめを噛む家康に“お叱りビーム”

それが徳川家康(内野聖陽)の側室・阿茶局(斉藤由貴)だった。その後、徳川の軍勢が真田の上田城に襲い掛かる。真田は少ない兵で徳川撃退に奮闘するも、信繁(堺雅人)の妻・梅(黒木華)は命を落としてしまう。 阿茶局は家康の側室の中でも、特に聡明で家康の信頼が厚かった女性。馬術や武芸にも優れ、しばしば戦場にも同行して家康を支えた。もともとは武田家家臣飯田氏の娘で、一度は今川家…

失敗と成功の日本史

ショーンK? 他人の性を名乗り存続した北条氏の“経歴詐称”

徳川家康は、幼名の竹千代が元服して元康-家康に。豊臣秀吉は木下姓から羽柴姓となり、最後は豊臣となりました。しかし、こうした改名は、公に行われたもの。 ■初代の早雲は「伊勢氏」 ここで思い出すのが、北条早雲です。伊豆、相模(現・神奈川県の大半)を攻略し、戦国時代の火蓋を切ったことで有名な人物ですが、彼は「北条」姓でありません。室町幕府政所執事・伊勢氏の一族で、実名は伊…

週末に読みたいこの1冊

「家康、江戸を建てる」門井慶喜著

天正18年、豊臣秀吉は徳川家康に関東八カ国の提供を提案する。小田原征伐の功に報いるというのが表向きの口実だが、低湿地が広がる未開の地の関東と、家康の所領である駿河、遠江、三河、甲斐、信濃を交換するのが条件であり、家康の力を弱めるための策略だとして家臣たちは猛反対した。しかし家康は国替えの要求を受け入れることを決める。 本書は、江戸に都を築き上げるまでの家康の采配と、…

武田信玄像

戦国武将サバイバル術

【武田信玄】ライバルだけを意識していると本来の目的を見失う

信玄は三方ケ原で徳川家康を破ったものの、胸を患って53歳で死去。信玄が後継者の勝頼に「謙信とは戦うな。おまえの頼れる人物は謙信しかいない」と言った、その謙信も信玄死没の5年後、49歳でこの世を去ります。結果、天下は信長の手に。 片目で足の悪い山本勘助を軍師に取り立てるほどの見る目、力もあった信玄でございましたが、好敵手をもったばかりの悲劇ともいえるでしょう。“向上す…

GRAPHIC

「戦国のゲルニカ─『大坂夏の陣図屏風』読み解き」渡辺武著

住吉大社東南方に本陣を置き、天王寺口からの城攻めを指揮する馬上の徳川家康をはじめ、東軍総司令官の将軍秀忠本陣など、右隻一扇・二扇・三扇には徳川方の主な諸部隊が描かれる。 それぞれの部隊の配置などを解説する一方で、夏の陣に遅参した上に大坂への途上で家来が問題を引き起こして家康や秀忠の不興を買った家康の六男・松平忠輝の夏の陣後の悲劇的な人生や、屏風の中でただ一人、個人の…

2016年大河ドラマは「真田丸」

7人の影武者いた? 人気歴史家が明かす“真田幸村生存説”

幸村、人質として大坂へ 1590年 小田原城攻めで初陣? 1594年 大谷吉継の娘と結婚 1600年 6月/徳川家康の上杉景勝討伐軍に加わる 7月/石田三成の密使が昌幸のもとに到着。昌幸、幸村は 西軍につくことを決め上田城に向かう。兄信幸は徳川軍に残る 9月/徳川秀忠軍、真田父子のこもる上田城を攻め敗北。 関ケ原の合戦では西軍が敗れる 12月/幸村・昌幸、紀州高野山…

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