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「寺山修司 映画」に関する記事

食べていけるかなと思ったのは40歳/(C)日刊ゲンダイ

役者・芸人「貧乏物語」

家賃7000円さえ払えず親肩代わり…廣木隆一監督の赤貧時代

寺山修司さんに興味があって、講義を聴きたくて行ってました。 福島県郡山市から上京し、2浪して大学の国文科に在籍していたんですけど、国文学に興味があったわけでもなければ、将来何をしたいという指針もなかった。しかし、そこに来てるほかの学生たちと出会って、それまで見るものと思っていた映画を作ることができるんだっていう可能性が出てきたんです。 でも、どうやって映画監督になる…

酒と作品は切っても切れない関係/(C)日刊ゲンダイ

今だから語れる涙と笑いの酒人生

映画監督・池島ゆたかさんが振り返る「酒と女と芝居と映画」

その後、寺山修司さん主宰の「演劇実験室・天井桟敷」に参加したのを皮切りに、以後10年以上、ドップリと芝居一筋。カッコよく言えば演劇青年、現実は貧乏な若手役者でした。 金がないのに、稽古が終わったら必ずといっていいほど安居酒屋へ繰り出す。早大近辺から高田馬場にかけては、1000円もあればヘベレケになれる店が多いしね。 でも、注文するのは酒だけ。いつもピーピーしてるから…

昨年の東京国際映画祭の様子

コンペ部門に初の「邦画3本」 東京国際映画祭に2つの変化

旧作では高倉健や寺山修司の作品、「平成ガメラ」など。気楽にブラッと出かけられる映画祭に変身していってくれるとありがたい。 (映画ジャーナリスト・大高宏雄)…

高橋洋子

高橋洋子「のっぴきならない人生で」

「寺山さん…」とバカな独り言を言って書き進めた

「ある競馬雑誌が寺山修司さんの追悼特集を組んでいて、寺山さんが生前書かれた『旅路の果て』のエピソードを用いたエッセーが載っていたんです。寺山さんとは天井桟敷の舞台で朗読劇をさせていただいたり、映画『さらば箱舟』(84年)に出させてもらった思い出深い方。ちょうど苦しみながら執筆している時にこのエッセーに出合ったので運命みたいなものを感じて……。窓を開けて星を見ながら…

高橋洋子

高橋洋子「のっぴきならない人生で」

ひと言でいうと“へたくそ”なんですよ、生き方が

でも、寺山修司さんは『小説を書いた女優をだね、使ってみたいと思うのは僕ぐらいなもんだよ』と余裕をもって言ってくれましたが、使う側にとっては扱いづらい存在になってしまったんでしょうね。本当は役者をやりたいくせに事務所に所属しなかったり。長期的なビジョンが立てられず、目先のものばかりを追いかけちゃう。ひと言でいうと、へたくそなんですよ、生き方が(苦笑い)」 13年ぶりの…

「ミンヨン 倍音の法則」は佐々木さん19年ぶりの新作/(C)日刊ゲンダイ

あの人は今こうしている

ドラマ界の“伝説”佐々木昭一郎氏 「新作で映画に革命起こす」

66年、寺山修司と組んだラジオドラマ「コメット・イケヤ」でイタリア賞グランプリを受賞したのを皮切りに、テレビドラマ「マザー」(71年)でモンテカルロ・テレビ祭賞金賞、「さすらい」(71年)で芸術祭大賞、「紅い花」(76年)で芸術祭大賞、国際エミー賞優秀作品賞、「四季・ユートピアノ」(80年)でイタリア賞グランプリ、「川の流れはバイオリンの音」(81年)で芸術祭大賞、…

エキゾチックな容姿が忘れられない

あの人は今こうしている

20歳で芸能界引退 “伝説”フラワー・メグさんは離婚後に復帰

寺山修司さんや唐十郎さん、谷川俊太郎さんなどがクラブ運営に協力し、石原慎太郎さん、横尾忠則さんなんかが出入りされてた。ホステスは全員シースルー。ダンサー兼任だったワタシはトップレスにパンティー1枚でエロチックなショーに出てました」 その評判を聞きつけた平凡パンチの編集者がまだ若手だった写真家・長友健二に撮影を依頼。メグさんの妖艶なカラーグラビアはたちまち人気沸騰…

NHK大河「国盗り物語」にも出演/(C)日刊ゲンダイ

あの人は今こうしている

「ケチで有名になるくらい倹約」していた俳優・山谷初男は今

寺山修司の天井桟敷や蜷川幸雄、美輪明宏演出の舞台に数多く出演し、また、秋田県出身、東北弁を交えた素朴なしゃべりで聞く人を魅了した。しかし、最近は見る機会が減った。今どうしているのか。 「去年、(高倉)健さん、(菅原)文太さんが相次いで亡くなったのはショックだったね。あの人たちは若い頃からとっても忙しかった。その疲れが今になってドッと出たんだな。オレも同世代だけど、…

ザッツエンターテインメント

浅草通になれる本特集

それでも寺山修司は街はずれの見世物小屋を舞台に「浅草放浪記」を発表、日常からはタブー視された大衆社会としての浅草を描き、ビートたけしは渥美清、萩本欽一らがテレビ界へと去った浅草演芸最後の残り火を「浅草キッド」で活写した。 もっとも著者らの主眼は、今日の浅草はかつて文芸作品に描かれた「大衆」の町ではなく、もはや単なる「消費者」の町になり果てたのでは、という問題提起でも…

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観ずに死ねるか

サード(1978年 東陽一監督)

映画の脚本を担当した寺山修司は原作にない場面をつけ加えた。サードが夢に現れたテニス部から「新聞部が結婚したのでお金がどこにあるか分からない。私はあのときのお客さんと一緒に暮らす」と知らされるシーンだ。いやはや、女はたくましい。一方、男たちは自由という幻想を求めながら、皮肉にも囚われ人となった。青春の残酷さが際立つ展開だ。 風俗関係者によると、テニス部のように風俗嬢が…

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あれもこれも言わせて

哀れ! バラエティーに出て崩れていく女優たち

寺山修司が生きていたら、さぞや落胆することだろう。 だが、もっと心配なのは木村佳乃だ。「世界の果てまでイッテQ!」(日本テレビ系)に2年ぶりに登場したが、イモトとお揃いの眉毛メークや、顔面パイ投げでクリームだらけになったり、スライダーで水中にダイビングしたりとカラダの張りっぷりがすごい。 2年前も、あの木村佳乃がこんなことをと話題になったが、今回、さらにパワーアップ…

シンガー・ソングライターの小椋佳さん

喜怒哀楽のサラリーマン時代

小椋佳さん 銀行員になると決めたとき「くだらない人生になる」と悟った

たまたま寺山修司さんと巡り合って、音楽という表現の場を持てただけ。努力ではなかったですね。 入行後、最初に赴任したのは銀座支店でした。1~2年は内部事務の仕事を転々と回されるのが習わしです。そうやって仕事を覚えていくわけですが、新入社員のころの僕は厄介者でした。ロクに仕事もせず、女子行員に「銀行なんて早くやめちまえ」って怪文書を回したりしていたんです。(つづく)…

19人の音楽陣と俳優30人が集結/(C)日刊ゲンダイ

見世物オペラ劇「身毒丸」 37年ぶりにオリジナル版が復活

今年は詩人、歌人、劇作家、演出家、映画監督、競馬評論家とマルチに活躍した天才・寺山修司生誕80年。さまざまな記念イベントが展開されるが、第1弾は「演劇実験室◎万有引力」による舞台「身毒丸」。 これは78年に紀伊国屋ホールで、寺山の主宰する「天井桟敷」によって上演されたもので、寺山の死後は、蜷川幸雄演出で再演を繰り返し、寺山作品の商業演劇化ではもっとも成功した舞台とい…

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