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「田中角栄 子供」に関する記事

米誌「LIFE」の記念総集号に写真が掲載されたことも

「FRIDAY」カメラマンはなぜ動物写真家に転身したのか?

■被写体が悲しければ悲しいほど飯のタネに 小原氏の写真が初めて「フライデー」の巻頭を飾ったのは85年2月、脳梗塞で倒れて入院している田中角栄の病室を隠し撮りしたものだった。 「当時、事務所サイドは点滴など打っていないとかたくなに否定していましたが、僕の写真には点滴している角栄の姿がばっちり(笑い)。この写真に激怒した真紀子さんが、秘書の早坂茂三さんを辞めさせてしま…

新潟選挙区を制した森ゆうこ氏

注目の人 直撃インタビュー

激戦の新潟で当選 森ゆうこ氏が語る「野党共闘」の成果

ラストサンデーの3日は、都市部を避け、JR浦佐駅近くの田中角栄像の前で街宣に立ちました。 田中角栄像の前で小沢先生が街宣するのは象徴的でした。今の自民党はかつての田中政治とは違う。国民の生活なんて何も考えていませんから。それに、浦佐駅付近の地域は農協や建設業者が多く、古くからの自民支持層がメーンです。今の安倍政治にはどこか違和感を持っている方も多いようで、小沢先生の…

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プレイバック芸能スキャンダル史

芦屋小雁・斉藤とも子 28歳差の電撃婚

◇1987年1月 1日、自民党田中派内に「創政会」を結成した竹下登幹事長が田中角栄宅に年始回りに訪問するも門前払い。17日、厚生省が日本で初の女性エイズ患者を認定。19日、円高が進み、1ドル=150円を一時突破。…

父・角栄をおもえば

政治は命懸けでするものと子供の私に刻印

安倍総理は持病を克服されて、政務に励まれていますが、父、田中角栄も子供の頃から吃音で悩んでいました。演説をするときは片足をぴょんぴょんと動かしながら、ダミ声で話しましたが、貧乏ゆすりのように片足を動かして話さないと、スムーズに話せなかったのです。片足を動かすことで、その足に緊張感がいき、吃音を克服できました。 その他にも甲状腺機能障害に生涯悩まされて、人知れず病気と…

田中角栄夫妻と真紀子氏(写真中)

元秘書が語る 素顔の田中角栄

「うちの細君は偉いよ」といつも言っていた

しかし、すべての責任はこの田中角栄が背負う!」 この大蔵大臣就任演説を、当時、学生ながら秘書のようなことをしていた僕は実際に目撃しています。鳥肌が立ったものです。 オヤジさんは演説の達人でした。秘書たちが「この会はこれこれこういう趣旨で……」と伝えると、「よし、わかった」と言ってぶっつけ本番で演説を始める。しかも、実体験に基づく演説ですからいつも面白かったし、心に響…

亡き父の遺体を見届けることは叶わなかった

父・角栄をおもえば

死去の際は門前払い 騒いだら父の顔に泥を塗る

私は田中角栄の実子として正式に籍を与えられている立場です。亡き父の遺体を見届ける権利があります。姉はそんな私たちを門前払いして、父と孫娘が会する最後の機会を永遠に葬ったのです。周囲には300人を超える大勢の報道陣が詰めかけていました。「ここで騒いだら父の顔に泥を塗ることになる」とその場を去り、心の中で父と姉に永遠に別れを告げたのです。 ■直前に出演を断られた“角栄…

「忍びの者」

観ずに死ねるか

忍びの者(1962年 山本薩夫監督)

田中角栄は「国家権力はやろうと思えば何でもできる」と語った。戦国時代も現代も権力者の危険性は同じ。だからこそ立憲主義が重要なのだろう。 (森田健司)…

政治家は「実践するために行動すること」

元秘書が語る 素顔の田中角栄

国民のためなら与野党の垣根もない

いま田中角栄が再脚光を浴びている理由とは何か――。石原慎太郎さんの小説「天才」が火を付けた部分も確かにあるが、私は強力なリーダーへの待望論が根底に潜んでいると思っている。オヤジさんの政治信条は常に弱者へのやさしい目線だった。それは博労の子として生まれ、貧しい子ども時代を経験していたからこそに違いない。 「俺の目標は、年寄りも孫も一緒に楽しく暮らせる世の中をつくるこ…

母・和子さんに抱かれる筆者

父・角栄をおもえば

一度だけ母と3人で撮影した写真

子供の頃は「父親が田中角栄だ」という認識はまったくありませんでした。 父が日本でも知られた政治家ということを意識するようになったのは、慶応普通部(中学)に入学した頃。父は大蔵大臣として活躍していました。友達に「おまえのオヤジって有名人なんだな」と言われ、はじめて父の社会的地位を意識したのです。 父の印象といえば、忙しい人、でした。何日かおきに家にやって来てはウイスキ…

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