勘三郎なきコクーン歌舞伎 役者も脚本もいいが熱狂消えた
木ノ下は歌舞伎の新解釈が注目されている若手で、一方の串田は、いまや新解釈のベテラン。2人が組んでより新しいものが生まれるのを期待したが、いつもの串田演出でしかなかった。
コクーン歌舞伎が始まった頃は斬新に見えた串田の手法は、いまや少しも新しくもない。壊し方が定番化していて陳腐ですらある。串田演出を無視するかのように、普通の歌舞伎の演技で通す梅枝を見て、この台本で普通の歌舞伎として上演して欲しいと思った。
歌舞伎座は團菊祭。新しいものは何もないのだが、その「偉大なるマンネリ」の象徴である、夜の部の尾上菊五郎の弁天小僧菊之助が、すごい。何度も見た芝居が、何の破綻もなく、淡々と進んでいくことがこんなにも心地よいとは。名人芸とはこのことかと思った。海老蔵と松也がそれぞれの父が演じた役をつとめ、菊五郎の孫の寺嶋眞秀も出演させるなど、次世代への引き継ぎも兼ねる、過去と未来とが同居する舞台だ。
(作家・中川右介)