韓国大統領の末路「KCIA南山の部長たち」が描く朴正熙暗殺
今でこそ韓流やK―POPで身近に感じられる韓国だが、40年ほど前はまだ軍事政権だった。1961年に軍部が起こしたクーデターにより朴正熙政権が樹立。大統領を支えたのは韓国初の情報機関「中央情報部(KCIA)」だった。
中央情報部はソウル中心部の南山にあり、絶大な権力を持つ歴代の部長たちは“南山の部長”と呼ばれていた。南山といえば、今は観光名所となった「Nソウルタワー」があり、日本人も訪れる場所だが、当時はその地名が“恐怖の対象”でもあった。朴正熙大統領は部下である“南山の部長”の金載圭にピストルで撃たれて殺害された。
暗殺に至るまでの要因は幾つかあるが、その一つが民衆による反政府デモだった。朴正熙大統領はデモを封じ込めるため、市民への発砲もやむを得ないと考えていた。警護室長も「デモ隊を殺しても問題ない」と大統領に進言している。金載圭が暗殺を実行したことで、多くの命が犠牲にならずに済んだともいえる。
韓国には「屁がたくさん出ると大便を漏らしやすい」ということわざがある。「二度あることは三度ある」「前兆があると現実になりやすい」という意味だが、韓国大統領に起こった悲劇は二度、三度どころではない。文在寅大統領も今は支持率が急降下。大便が漏れ出ないといいのだが。