村下孝蔵さん「このまま広島に帰るわけには」と酒をあおり
2021年の1月、2月というのは、例年以上に足早に過ぎ去った気がする。1年前を思い出す。ここまで新型コロナウイルスが猛威を振るい、ここまでライブハウスが大打撃を食らうとは――。2月が終わりに近づくと(1953年)2月28日生まれのシンガー・ソングライター、村下孝蔵さんを思い出す。彼は99年6月、東京都内のスタジオでリハーサルをやっている最中に「気分が悪い」と体調不良を訴え、帰らぬ人となった。享年46。あまりにも早過ぎる死だった。
76年に新宿ロフトをオープンさせた後、ビクターから「ロフト・レーベル」を立ち上げ、大手楽器店と手を組んで「渋谷公園通り音楽祭」という新人発掘のコンテストを始めた。79年に中野サンプラザで開催した決勝大会で優勝したのは、大沢誉志幸さんがボーカルを務めたクラウディ・スカイ。準優勝は、リーダーのうじきつよしさん率いる子供ばんどだった。
決勝大会にゲストミュージシャンとして広島から実力派シンガーを招いた。83年の大ヒット曲「初恋」で知られる村下孝蔵さんだ。当時はまだ全国的には無名に近い存在だったが、第2期・広島フォーク村を舞台に精力的に演奏活動をこなし、この決勝大会が〈待望の東京デビュー〉だった。しかし――。