「い・け・な・いルージュマジック」99%できないと思った
50年前の1971年3月24日。「烏山ロフト」をオープンさせた。広さ7坪。家賃3万2500円。あれから50年。新型コロナウイルスがライブハウスの屋台骨を直撃。わたしゃロフトで無役・無給となった。それでもロフトの若い衆が、50周年事業の一環として毎週月曜午後10時から「ロフト創始者 悠さんにロックの歴史を聞く会」をClubhouse(クラブハウス)でやりましょう――と言ってきた。15日の第1回には50人ほどの人が参加してくれたみたい。ま、気楽に集まってほしい。今回も「シティ・ポップ」に深く関わった音楽プロデューサーの牧村憲一さん(顔写真)の話を続けたい。
「竹内まりやさんに、アルバムを作らないかと誘いました。最初は見事に断られました。2度目に会った時、彼女から『この人たちにデビュー曲を書いてもらえたらやってみようと思います』とリストを見せられました。そこには加藤和彦さん、山下達郎さん、大貫妙子さんたちの名前が書いてありました。僕は困った表情を浮かべつつ、内心では拍手喝采でした。そのリストに挙がっていたのは、親しくしている人たちだったからです。それはファーストアルバムに反映されています」