鮎川誠さんは「ロックは譜面に縛られないのが醍醐味」と言った
「先生に『修学旅行は面白くない。行かんけ、お金、返して』ちゅうてから3万円ぐらい戻ってきて、友達からエレキを4500円で買うた」
平野 地元の進学校から国立の九州大に入学。でもロッカーに学歴と譜面は必要ないのでは。
「九大に入れば、ロックが自由にできるっちゅうて猛勉強しました。譜面は今も読まん。ロックは日々成長していくもの。譜面に<残す>ことはあっても、譜面に<縛られる>ことはない。それがロックの醍醐味です」
平野 伝説のバンド「サンハウス」が解散した78年春に東京に。すぐにシーナさんも上京。8月、西荻窪で鮎川さんとシーナさんが初めて一緒にロフトのステージに立ちました。
「サンハウスを解散して30歳にもなろうとしよったし、シーナと結婚して双子の子供もおった。居候先のシーナの親父に言われました。『福岡でテングになっていてもつまらん。ウチの娘も幸せにはならんばい。福岡には仲間もおるし、少しはファンも付いとる。東京で勝負してきなさい』と尻を引っ叩かれました」