鈴木慶一さんは日本語でロックをやるのに「急がなきゃ!」と思った
平野 シンガー・ソングライターの遠藤賢司さん(2017年死去)にも影響を受けた。
「日本語なので意味がガンガン伝わってくる。日本語でロックをやるのに『急がなきゃ!』と思いました。高校を卒業した70年、あがた森魚さんと出会い、いろいろなミュージシャンを紹介してくれました。その年の9月です。はっぴいえんどのサポートにギターとコーラスで参加しました」
平野 わたしゃジャズを聴いていたんですが、細野晴臣さん、大瀧詠一さん、松本隆さん、鈴木茂さんが69年に結成したはっぴいえんどによって「洋楽のコピーから脱して日本語で歌うことの衝撃」を知りました。そして鈴木さんは71年、はちみつぱいを結成しました。
「全然カネにならなかったし、まぁ~他にいろんな原因が多発したからなんですが。所属していた事務所、風都市が傾いたのも大きい。74年に解散を決めてから、ロフトでライブをしましたね。75年、新たに『ムーンライダーズ』を結成して商業的な仕事もやりました」
平野「アグネス・チャンバンド」だね。 =つづく